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2019年01月09日23:50

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点鬼簿之雑談帖(その122)―兼高かおる氏の訃報

昔々(こればっか)、「兼高かおる世界の旅」で一世を風靡した、兼高かおるさんの訃報が伝えられました。嗚呼。

<引用開始>

兼高かおるさん死去 「世界の旅」海外紀行番組の先駆け

 テレビの海外紀行番組の先がけとなった「兼高かおる世界の旅」(TBS系)で知られた旅行ジャーナリスト、兼高かおる(かねたか・かおる、本名・兼高ローズ=かねたか・ろーず)さんが5日午後8時45分、心不全のため、東京都内で死去した。90歳。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を行う。

 神戸市生まれ、東京の香蘭女学校を卒業後、米ロサンゼルス市立大に留学。昭和34年12月にスタートした同番組は、プロデューサー、ディレクター、ナレーターを担当。平成2年9月に終了するまで、31年間で約150カ国を訪れた。その間、地球を180周した計算となり、個人名を冠した番組としては世界でも類を見ない長寿を記録、日本の放送史に残る金字塔を打ち立てた。まだ海外旅行が一般には自由化されていない時代(放送当初)に、世界各地の魅力を伝え、その後の海外旅行ブームの火付け役となった。

番組で会った著名人は、米ケネディ大統領(当時)や英チャールズ皇太子、スペインの画家ダリ、スウェーデンのテニス選手ボルグなど、そうそうたる顔ぶれ。番組での上品で、丁寧な日本語のナレーションも有名で、最近のバラエティー番組の内容などに苦言を呈したこともあった。戦後の日本女性の国際進出の草分け的存在でもあり、番組終了後は、さまざまな分野の活動にも関わった。

昭和60年には「兼高かおる旅の資料館」(兵庫県淡路市)の名誉館長に就任。61年から平成18年まで「横浜人形の家」(横浜市)の館長も務めた。著書も「私の好きな世界の街」など多数。
2年、菊池寛賞、3年に紫綬褒章。

<引用終了>

出典Web:https://www.sankei.com/life/news/190109/lif1901090026-n1.html

記事にもあります、「兼高かおる世界の旅」は、わたくしも子供の頃、親がこの番組のファンだったので、良く見て居りました。記憶が正しければ、関東では日曜日の午前中に放映されて居りました。映画「世界80日間世界一周」のテーマが流れ、ジェット機が離陸するオープニングは、今でもよく覚えて居ります。故芥川隆行氏との軽妙なタッチのナレーションも印象的でありましたねえ。
今日と違って、日本人がそう簡単に海外旅行に出る事は出来なかった時代、世界各地に取材旅行に出かけ、放映される映像を眺めては、ああ、大人になったら何時かは自分も海外に行く事がでくるのだろうか、と憧れを抱いたものです。

当初協賛を受けていた航空会社は、パンアメリカン航空でしたが、後にパンアメリカン航空が日本市場から撤退した後は、スカンジナビア航空に代わりました。後にパンアメリカン航空が倒産した時は、随分ショックを受けたものでした。

御歳に不足はないのでありますが、餓鬼の時分に慣れ親しんだ番組の主役の訃報に接し、寂寥感を禁じ得ないものがあります。謹んで故人の御冥福をお祈り申し上げたいと思います。
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