「あぢきなや なにとて花の 惜しからむ
わが身は春の よそなるものを」
藤原俊成「長秋詠藻」より(13)
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ツイッターの中に「 Good bye, Idol 」というアカウントがある。
https://twitter.com/goodbyeidol
ほぼ毎日、地上と地下とを問わず、「辞める」アイドルの紹介をツイートしている。
辞める理由は「卒業」「脱退」「活動休止」「契約解除」「解散」など、さまざまだ。
誰かの「卒業」が発表されるたびに、ファンからの悲嘆の声がツイートされる。
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冒頭の俊成の歌についての、久松潜一は次のように訳している。
「甲斐のないことよ。何で花の散るのが惜しかろう。自分は春に関係ないのに。」
(日本古典文学大系80「平安鎌倉私家集」岩波書店p.259)
そして「散る花を惜しむあまり逆説的に言っている。」とも付記している。
「春」という季節、つまり人生における「若さ」は、もう自分にとっては縁遠いものとなってしまっている。だから、花が散ることを惜しむのは「あぢきない」ことだ。
この「あぢきなし」のニュアンスは、ちょっと解釈が難しい。
「甲斐のない」という久松の訳も間違いではないが、辞書を引くと「つまらない」「努力のかいがない」「道理に合わない」「はかない」などの訳語が並ぶ。「味気ない」の漢字は当て字であり、原義とは関係がないようだ。
僕ならば「むなしいものである」とでも訳すだろうか。
「伊勢物語」の中の次の歌と通じるところもある。
「散ればこそ いとど桜は めでたけれ
うき世になにか 久しかるべき」
俊成は、「自分が若くない」ことを根拠にして、散る花を嘆くことを無益なことだとした。
伊勢物語の知られない「読み人」は、「憂き世の無常」を根拠に、花を愛(め)でる心持ちを説いた。
両者は論理においては矛盾している。
しかし、その心情においては、それほど隔たってはいないように思われる。
昨日、「読み人知らず」に共感した人が、今日は俊成に共感するということもあるだろう。
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