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2017年02月11日00:24

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万死に値するか?

新聞やラジオで報道されるニュースを知り、いやな気持になることは少なくない。

ただ、先日の衆院予算委員会における文部科学省の前川喜平前事務次官に関するニュースほど嫌な気持ちになったニュースは、そう多くはない。

前川前次官は、「私の責任は極めて重い。万死に値する責任がある」と言ったのだそうだ。

何に対する責任かと言えば「教育をつかさどる文科省でこのような事態を招き」「文科省、政府への信頼を損ねた」ことに対してのようだ。

しかし、これは単に責任追及をかわすための方便ないし修辞に過ぎない言葉だ。

もしも、彼のやったことが本当に「万死に値する」ことであれば、民間企業であれば倒産に匹敵するような懲罰を受けても仕方のないことだろう。
天下りをしたすべてのOBは、たとえ路頭に迷うとも、即刻、天下り先から辞職すべきだろう。
現職の職員も、管理職以上は減俸10%を36か月くらいしたっていいだろう。
実際には、誰もそんなことを覚悟してはいない。
ちょっとした「手違い」くらいにしか思っていないのだ。

ただ責任逃れのために、表面だけでも、自分の責任の重さを痛感しているかのように装っているに過ぎない。

たとえ彼が明日の朝に首を吊ったとしても、それが何になるだろうか。
そんなことをしても「残りの9999死に対する責任逃れだ」とでも言ってやりたい。

僕が腹が立っているのは、天下りに対してではない。
こと利権に関すると、文部官僚ですら、コンプライアンス(法令等遵守)意識がこの程度のものに過ぎなかったということは、日本国民として恥ずかしいことではあるが、今更驚くようなことでもないかも知れない。

それよりも、自分たちの保身のために「万死に値する」などという激越な言葉を軽々しく使うことが許せないのだ。これは、言葉に対する、我々の日本語に対する「信頼」を大きく損ねるものだ。

このような「言葉を軽んじる」風潮については、以前にも、週刊誌が使う「戦犯」という言葉について書いたことがある。

■週刊誌と戦犯
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1944621709&owner_id=2312860

文部科学省は、仮?にも「国語」に対する行政を司る役所だ。
その役所の実務のトップが、このように言葉というものを手前勝手に使い、その価値を損ねている。更に言えば、これは「人の命」を軽んじる言葉ですらある。
こんな言葉遣いをすることこそ、「万死に値する」。

彼がなすべきことは、このような激越な言葉を弄することではなく、なぜ、文部科学省において、違法行為が組織的に行われてしまったのか。そのプロセスと原因をつつみかくすことなく国民の前に明らかにすることだ。それなくしては、単に激越な言葉も、責任逃れのための煙幕でしかないと断ぜざるを得ない。

■安倍首相、天下り再発防止に全力=前次官「万死に値」―衆院予算委
(時事通信社 - 02月07日 11:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4420473
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