「 ここでいく分迂遠な、しかし、俳句とはなにかを考えるときにいつも思い浮かべるアイヌのおばあさんから見聞きしたエピソードを挿入する。北海道へアイヌの人たちの死生観の聞き取り調査に行ったときのこと。
ポイントは「柱に頭をぶつけたときに、自分の頭の痛みではなく、柱の痛みを感じることができるか」という話。囲炉裏の上に獲物を載せ燻製を造る棚がある。子供が立ち上がった拍子におでこを棚の頑丈な角にぶつけ泣き出した。「おでこが痛い」という。するとおばあさんはぶつけた棚木を摩(さす)って「いい、いい、治る、治る」という。子自身が痛いのは当然、同じようにぶっつけられた棚木にも痛みがある。ともに50(フィフティ) ― 50(フィフティ)の痛みがある。人間のように意志を持たないと思われる棚木の痛みを察する。同じことを宮沢賢治も問題にしていると賢治研究者の佐藤映二氏に聞いた。
私はアイヌのおばあさんの大らかな生活の知恵とでもいえる処世にはアニミズムに通じる深い考え方があるものと感動したのである。」
■現代俳句協会 宮坂静生「会長挨拶」より
http://www.gendaihaiku.gr.jp/intro/
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8月19日は、「8(は)1(い)9(く)」で、「俳句の日」なんだとか。
ゆっぱり日本俳句協会みたいのがあるのかと思って調べてみたら、2つの団体があった。
■日本伝統俳句協会
http://www.haiku.jp/index.asp
■現代俳句協会
http://www.gendaihaiku.gr.jp/index.shtml
なるほど、「伝統」と「現代」の間には、ひとつにはまとめられない違いがあるのかも知れない。
現代俳句の方のホーム・ページを読んでいたら、その「会長挨拶」の中にアイヌ民族に関係するエピソードが書かれていた。
俳句とアイヌとでは、にわかに結び付けにくいところがあるような気がしたが、その間に連関を見出すのも「現代」的なことなのかも知れない。
備忘として、記しておく。
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