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2016年06月09日23:54

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新・音盤雑談帖(その40)―クネヒト大交響曲『自然の音楽的描写』

さて。ベートーヴェンの田園交響曲にモデルとなった(と思しき)作品がある、と云うお話をわたくしが最初に知ったのは、何時頃の事であったか。恐らく大学生時代に読んだ、故柴田南雄氏の評論文であったか、と思います。今からざっと40年近くも前の事ですので、論説の内容の細かい所は忘れて仕舞いましたが、換骨奪胎とはこの事かと云う様な趣旨であったか、と。

無論作品としては、今日の人気曲の一つであります、ベートーヴェンの第六交響曲『田園』に比べて、そのモデルとなった(可能性が他界)クネヒトの作品の音盤がどれだけあるか、と云う事を考えても明らかな訳ですが、クネヒトが自作の表題として付けた文章を、ちょっと某親方之声ウェブ・サイトから引用しますと。

【引用開始】
クネヒト:自然の音楽的描写−大シンフォニー (1785)

第1楽章:美しい田舎、そこでは太陽は輝き、優しい東風はそよぎ、谷間に小川は流れ、鳥がさえずる。急流は音を立てて流れ落ち、羊飼いは笛を吹き、羊たちは跳びはね、羊飼いの女は美しい歌声を聴かせる。

第2楽章:突然空が暗くなり、あたりの自然は不安に息をのむ。黒い雲が集まり、風が吹き始め、遠くでは雷鳴がとどろき、嵐がゆっくりと近づいてくる。

第3楽章:ごうごうと音を立てる風を伴う嵐がやってくる。雨は叩きつけ、木々の先端はざわめき、激流の水は恐ろしい音をたてながら流れていく。

第4楽章:嵐は次第におさまり、雲は消え、空は晴れ渡る。

第5楽章:自然は喜びに満ち、天に向かって声を張り上げる。それは、創造主への心からの感謝を捧げる甘く心地よい歌だ。

【引用終了】

とまあ、楽曲の構成は田園交響曲と瓜二つ。しかしながら、わたくしはこれ迄この曲を聴く機会がありませんでした。一昨年、某Naxosからこの曲の音盤が発売される、と云う告知に接した時は、これは万難を排してでも購入しなければ(大袈裟)と思ったのですが、肝心の発売時期の頃には、わたくしの脳裏からころりとこの音盤の事は抜け落ちて仕舞いまして。
色々な意味でそろそろ危ねえんじゃねえのか、と云う自覚はありますが先達て漸く思いだして(何しろ作曲家の名前も忘れて仕舞う体たらくでしたので、何をかいわんやでありますが)、某塔音盤店に足を運び、やっと購入した次第。何回か聴いてみての感想文を少々。

さて聴いてみますと、『大交響曲』と云う題名から連想される様な、そんな大仰な曲ではなく、演奏時間も30分弱と、モーツァルトの後期三大交響曲並み。まあ作曲されたのが1785年ですから、当時としてはこの位の規模でも(従来のシンフォニア、に区分される曲の概念からすると)大交響曲と銘打っても、違和感は左程無かったのかも知れません。

何回か聴いてみての感想は、と申しますと先ずは悪い曲ではない、と云う事。聴いていて詰らなくなって、眠くなると云う事はありませんでした。メロディは中々出来が良いし、聴かせるための工夫もあれこれ凝らされていて(それが鼻に付く、と云う事も無く)、態々お金を出して購入したのに期待外れだバカヤロー、金カエセと云う事は(少なくともわたくしに取りましては)ありませんでした。

只、今日の耳で聴くと、悪い曲ではないけれど、出来の良いムード音楽と云う印象は否めない所。イージーリスニングとして流すと、中々良い曲ではないか、と思いますが、演奏会で取り上げて人気をはくす曲か、と云うと疑問符が付きますね。

またそれぞれの楽章の表題からすると、ちょっと裏切られた感も。第二楽章、第三楽章は悪く言えばまるっきりの看板倒れ、と言えなくもない様な。また、この辺にあるとちょっとオーケストラの非力さが、ちょっと浮かんでくる様な気がしますが、これはわたくしの気の所為かも知れません。

それでももう少し聴かれても良い曲ではないか、とも思いました。先達て他界した某アー○ン○ールや、わたくしの嫌いな嘘吐き某○リ○ト○、記憶力がないんじゃないか、と疑念を抱かざるを得ない某ク○ケ○、と云った所謂古楽器系の指揮者が取り上げると、もう少し面白く聴かせてくれるのでは、と思うのですが、連中がこうした曲を取り上げない所からしても、その欺瞞は明らか、であろうと。

ベートーヴェンとの対比ですと、頗る付きで分が悪いのは疑い様のない所でありますが、もう少し聴く機会に恵まれてもと思います。


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