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2016年05月30日01:59

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『或る終焉』

或る終焉

 世に衝撃的な“結末”を描く映画は数あるが、これには驚いた。
反則気味ではあるが、託された意味を噛みしめる。

 近年、多く見られる終末医療と人間の尊厳問題。
生きるということはいかなる意味があるのか、その価値は他人には理解し得まい。
ましてやルールで測れるはずもない。しかし、現実はルールで線引きをしないとならない。
それは誰のためなのか?患者のためなのか?

 献身的な看護師デヴィッド(ティム・ロス)は最愛の妻を看取り、余命いくばくもない終末期の患者らに寄り添う。
寡黙でストイックな姿は淡々としているが、内側には熱い思いを隠しているに違いない。
カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞したというので、かなり凝った脚本か、もしくはセリフが込み入っているかと想像していたが、実際はかなりシンプルでセリフ量も少ない。

 デヴィッドの家庭問題が影を落とし、ここに彼の性質を読み解くヒントがあるように思う。
抑えた表情というよりは感情を一切表さない。
終末期の患者と向き合うからこそ到達した境地ともいえるが、実の家族と他人行儀な関係は、患者への献身ぶりと比べると驚くものがある。

 一般的に<孤独>な生き方は否定的に見られがちだが、本当にそうなのか?
看護師デヴィッドにとっては部屋や自動車の中など、むしろ孤独の方が落ち着いていそうな印象も受ける。

 36歳という若い監督が向き合うテーマとしては重いと考えたが、実際にミシェル・フランコ監督が祖母と看護師との関係で体験したことがきっかけになっているようだ。
原題の『Chronic(慢性)』は、その時の担当看護師が言った「仕事は慢性的な鬱病(chronic depression)をももたらすこともある」から来ているようだ。

 登場する患者役の俳優が本当の患者にしか見えないくらいリアルなのが目を引く。
説明もほとんどなく、光の取り込み方・構図から宗教画っぽさも感じた。

フォト


 ラストは賛否あるかもしれないが、そこにしか到達できなかった心を察することが今望まれていることかもしれない。

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