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2016年04月13日23:59

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歴史之雑談帖(その164)―岡崎城の石垣発掘される

岡崎城、と言えば徳川家康出身の城として、余りにも有名であります。尤も現在の城址は、江戸時代の物でありまして、家康の時代の物ではない訳でして。天守閣も戦後、鉄筋コンクリートで復元されたもので、余り往時を偲ばせるものが残っている訳でもないようですが。最近になって、長さ400メートルに達する石垣が出て来たそうです。おお。

<引用開始>

岡崎城、400メートル石垣確認 国内最長、江戸期の絵図通り

愛知県岡崎市が進める再開発に伴う発掘調査で、岡崎城の南を流れる乙川の河川敷に埋もれていた江戸時代前期の石垣が、総延長400メートルにわたり残っていたことが分かった。当時の絵図に描かれた「菅生川端石垣(すごうがわばたいしがき)」で、現存する城壁としては国内最長となる。地下3メートルにまで及ぶ石垣の高さは、地上部分を含めて最大5メートル。市が昨年10月に始めた中心市街地の再開発「乙川リバーフロント計画」の工事で河川敷を掘り起こしたところ、地中に埋もれていた石垣の一部が露出し、市教委が12月から発掘調査をしていた。

徳川家康の生地として知られる岡崎城の石垣は1644(正保元)年、3代目岡崎藩主本多忠利が完成させた。敵の侵入を防ぐための「横矢枡形(よこやますがた)」と呼ばれる射撃用の突出部が3カ所、矢の射程を考慮して80メートル間隔で続く。江戸中期以降に描かれた絵図によって存在は知られていたが、土や草木に覆われ、詳しい保存状態は分かっていなかった。

城壁は現在も川の堤防を兼ねており、崩れないように1度掘り起こした石垣は埋め戻さなければならない。市は16日午後2時から、江戸時代の築城術に詳しい広島大大学院の三浦正幸教授による一般向けの現地説明会を開く。会場は同市康生町、岡崎ニューグランドホテルの南側。問い合わせは市教委=電0564(23)6177=へ。

<引用終了>

出典Web:http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016040590085036.html

某中日新聞のウェブにあった、写真を失敬して来ましたが、結構な高さがある様で。江戸城、大坂城、名古屋城と比べて御城の規模は小さいものの、徳川知発祥の地として、大きな構造物が拵えられていたのでありましょうか。

実はわたくし、戦国武将の中では徳川家康が子供の時分より一番の御贔屓でありまして。これは小学校低学年の頃の、担任の先生が「人間は辛抱が大切」と、有名な三大英傑のホトトギスの歌を教えてくれたのが、脳裏に焼き付いたのが根源か、と思います。
嘗て以前の会社の業務都合で、名古屋に過ごした頃、名古屋を引き上げる直前に岡崎にも足を運んでみたのですが、実はその時は八丁味噌に気を取られて、味噌キャラメルなどと云うものを見付けて喜んでいたので、こうした石垣が埋もれているとは知りませんでした。

機会に恵まれれば、もう一度出掛けてみたいとは思いますが、果たして何時の事になるのやら……
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