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2015年11月23日02:07

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ローカルニュース之雑談帖(その148)―山伏の集落址の発見

修験道は日本古来の山岳信仰と、仏教の混合した日本独自の信仰だそうでして。が、明治に入って禁止令が出た事で、神道に帰属する流派、或いは仏教に帰属する流派と色々分かれて今日に至るのだ、そうです(実はあまりその辺は詳しく知らない)。嘗てはそれぞれの信仰の場に、大こな集落もあった様ですが今日はそうした遺跡も殆ど知られていない様で。

それがつい最近、日本の三大修験道場の一つとして知られていた、九州の英彦山でその遺構が判明したそうです。ふうむ。

<引用開始>

山伏集落800軒確認 英彦山、江戸期の繁栄裏付け 福岡・添田町

 日本三大修験道場の一つ、福岡、大分県境の英彦山(1199メートル)に800軒超の建物跡があることを、福岡県添田町がレーザー測量で確認した。英彦山は江戸時代、「英彦山三千 八百坊」とうたわれるほど栄え、その数字は人口3千人、800坊を意味するとされてきたが、詳細は不明だった。今回の調査で国内最大規模の山伏集落の姿が初めて克明になった。測量は山頂から中腹までの約6・9平方キロで実施。上空から40センチ四方ごとにレーザーを照射して地表の高低差を測定し、山伏が暮らした宿坊や仏堂などがあったとみられる平たん面を800余カ所確認した。集落に通じる古道や「窟」と呼ばれる修行場の岩穴も見つかった。

宿坊の確定には柱の配置から間取りを調べたり、古文書と照合したりする必要がある。これまで300近く確認した。町まちづくり課の岩本教之副課長は「レーザー測量で森林の中にある建物跡も確認できた。現地調査や分析を進め、全容を解明したい」と語る。町は、英彦山の国史跡指定に向けて2010年から5年間、民俗、歴史、古文書、美術工芸、考古、建造物の6部門で調査。1万点を超える古文書なども調べた。研究報告書をまとめ、16年中の指定を目指す。

一連の調査にあたった西谷正・海の道むなかた館長など8人の専門家が23日午後1時から同町のオークホールで研究成果を発表する。町まちづくり課=0947(82)5965。

<引用終了>

出典Web:http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/208599

千メートル級の山の中に、これだけの規模の集落が嘗て存在していた、というのはちょっと驚きですが、それを解明したのが、最新技術のレーザー測量、というのがまた面白い所。何時ぞや古墳の詳しい形状を探る時に使われる、と云う御話を紹介しましたが、こうした事も解るのでありますねえ。色々な意味で、大した時代になったものです。
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