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2015年09月24日22:40

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カラフトにおける最初の日本の施設

「松前からも18世紀後半から交易や漁業のために幾度かカラフトに船を出したといわれている(宝暦元年(1751)加藤嘉兵衛、安永2年(1773)村山伝兵衛、同6年(1777)新田隆助)。そして寛政2年(1790)には松前藩が高橋壮四郎(清左衛門)を場所請負人村山伝兵衛の船でカラフトに派遣し、地理の調査とともに漁場の開設を命じたのである。高橋はこのとき西岸北緯48度のクシュンナイまで調査し、また村山はシラヌシに交易所を、トンナイ、クシュンナイには番屋を設置した。これが日本の施設がカラフトにできた最初であった。(『村山家文書』)」

秋月俊幸『千島列島をめぐる日本とロシア』(北海道大学出版会・2014年)p.108〜109
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