最近はゴダールパゾリーニと観ているせいか、ただのアスファルトの道が石畳の路に見えてきたり、カフェで美女がジャケット肩にかけ足組んでノート書いている姿がパリジェンヌに見えてきたり、ドリンクバーのファミレスがモンマルトルのカフェに見えてきたり、、これでは「兼高かおる世界の旅」が大好きな西欧大好きフェチのかつてのジャポネーズと変わらんではないかっ。でも、そうした時代の、、、あれ、なんて言うんだっけ?言葉をど忘れした、、家族団らん憩いの居間にみんなが集まること、、。忘却とはなんとも悲しいことである。しかし、それは、、記憶とは確かに、今此処にあるのである。
記憶とは切なく、そして暖かなものである。森昌子のこの曲、なんか「ありがとう」っぽく、8時だよ全員集合の最初の喜劇が終わって、舞台装置がハケて歌手が出てくるときの、そんなあのときのさ、ドラムの抜けのサウンドが聴こえてくる。ロゴスは去れど、記憶は在るもの、、愛にそうした育みがあれば誰にでもきっと大切に思えてくるのである。
ログインしてコメントを確認・投稿する