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2014年12月07日09:37

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真珠湾攻撃と『星の王子さま』

明日(12月8日)は、真珠湾攻撃の日。
真珠湾攻撃と聞くと、サン=テグジュペリの『星の王子さま』のことを思い出す。
こう書くと唐突に思われるかも知れないが、『星の王子さま』の中には帝國海軍による真珠湾攻撃(ハワイ海戦)を思い起こさせる一節がある。

「ぼくは別の仕事を選ぶことにして、飛行機のパイロットになった。世界のあちらこちらを飛びまわる。地理の勉強は実際に役に立った。ぼくは一目見ただけで中国とアリゾナを見わけることができる。夜、迷った時など、とても助かる。」
(池澤夏樹訳・集英社文庫版『星の王子さま』より)

飛行機のパイロットが、中国とアリゾナを混同することなどあり得ない。では、中国とアリゾナという組み合わせには何か寓意があるだろうか。
『星の王子さま』が最初に出版された「時(1943年)」と「所(アメリカ)」を思い起こせば、この二つが、「日本軍による犠牲者」であることが分かる。当時、「中国」は大日本帝國陸軍によって侵略されていた。アメリカ海軍の戦艦「アリゾナ」は、1941年12月8日、帝國海軍の奇襲攻撃によって多くの将兵を乗せたまま撃沈された。
実際、真珠湾攻撃はサン=テグジュペリにとって大事件であった。ドイツによって占領されたフランスを解放するためには、アメリカの積極的参戦が必要であると彼は考えていた。しかし、アメリカの世論の中には嫌戦的なムードもある。それが、日本の真珠湾攻撃によって吹っ飛んだのだ。サン=テグジュペリが、真珠湾攻撃のニュースに「熱狂」したということを彼の友人たちが証言している。

彼は「若きアメリカ人へのメッセージ」と題して、次のようなスピーチも行っている。

「あなたがたは参戦しました。あなたがたは若い。そして、祖国のために働き、戦おうと決意していらっしゃる。しかし、ご存知のように、あなたがたの祖国の運命以上のものが問題となっているのです。賭けられているのは世界の運命なのです。あなたがたは、世界における自由のために働き、戦おうと決意しているのです。」
(サン=テグジュペリ・コレクション『戦争か平和か−戦時の記録1』より)

『星の王子さま』の中に小さな惑星を占拠しようとする「3本のバオバブ」が出てくるが、これも日独伊の「拡張主義」「ナチズム」「ファシズム」の象徴化であると言う人もいる。

童話の中にこのような血生臭いエピソードを差しはさむのは不似合いと思われるかも知れない。だとしたら『星の王子さま』は童話などではないのだ。この本は、ドイツ占領下の祖国フランスで「ひもじい思いや、寒い思いをしている」ユダヤ人の友人に対して捧げられている。そうした境遇にある友人に対して、現実世界から遊離したお伽話を捧げるほど、サン=テグジュペリは「お気楽な人」ではなかった。彼は祖国のために戦うパイロットであり、祖国や同胞の行方に心を痛める愛国者でもあった。そんな彼が、自分をとりまく世界情勢について深く省察したうえで、「童話」という形式を借りて描いた「遺書」が『星の王子さま』であったのだと僕は思う。

『星の王子さま』が書かれてから、70年以上が経った。
そこに象徴化されて描かれた70年前の世界の政治的・社会的情勢について、今さら学ぶべきことがあるかどうか、僕には簡単には答が出せない。しかし『星の王子さま』は、思うにまかせぬ現実の中を生きる人々にとって、読むべき価値のある物語であることは間違いないと思う。

「たいせつなことは目では見えない。心で見なければ」

これは、童話の中の夢想家の言葉ではなく、現実の政治社会情勢の中で悩み苦しんだ「中年男」の言葉である。

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