備忘録、
フィンランド映画祭2011
『ラップランド・オデッセイ』
フィンランドは失業率が高く(特に北部)、親のすねをかじるニートが多いらしい。
確かに現実は厳しいが、独立する気概が乏しい若者の現状を嘆き、彼らを励まそうという監督の意図を感じる。
本作の主人公<ヤンネ>もその一人。無職でいることに甘んじていて、恋人<イリナ>の苛立ちは最高潮に達している。
なにかの“きっかけ”になればという配慮で、<簡単なお使い>を頼むのだが、これがヤンネには難問。(笑)
ヘタレ男が「はじめてではない、おつかい」を通して成長するロード・コメディ・ムービー。
よくぞここまで大きく膨らましたと思える珍道中が見もの。
男友達を従え(一人じゃ出来ないあたりもまたヘタレ)、まるで障害物レースのように邪魔ばかり入るのだが、中でもお色気たっぷりのクーガー美女軍団のネーミングが笑える。
「気は優しくて、力なし」を地で行く姿が見もの。
良かれと思うことがドンドン破滅への道をたどり、あっという間に上映時間が過ぎる。
ラストのオチも用意周到で中々よく書けている。
ラップランド北部の冬の厳しさも試練の相乗効果をあらわすようだった。
ところで、この作品は映画祭のオープニングだったのですが、それにもかかわらず字幕がお粗末。
訳の巧拙ではなく、
明らかな欠落箇所が数箇所あり、通常日本では使わない差別用語(キ○ガイ)を使用していたことなど。
どうも字幕制作は本国らしいのですが、たとえそうであっても事前に試写したらわかることでしょ?
直す暇がないなら冒頭で説明してもいいのでは?
運営のお粗末さは映画祭の気分を台無しにしている。
(左がラップランド・オデッセイの監督。右は↓の映画の監督)
『グッド・サン』
女優のレイラには溺愛する<イルマリ><ウント>という二人の息子がいる。スキャンダルからのがれるために親子で訪れた別荘でおきたパラノイア的偏愛劇。
二人息子がいるのに英語のタイトルが単数形となっているのがミソで、主人公となるのは息子の一方。
世俗から逃げ出したはずなのに「退屈」というワガママに負けて友人たちを呼び寄せることから話が面倒になる。
しかし登場人物の誰かに感情移入しやすいかと聞かれたら、「ノー」である。
芸術家気取りがそう思わせるのかもしれないが、ワガママな人たちの集まりで、どこか退廃的な匂いも感じる。
我が子を「
いつまでもカワイイ所有物」と思っている母親には息子の真の姿が見えていないのだろう。
たいていはある年齢になれば、親離れして行くのが常だが、そのあたりは「
似たもの親子」なのかも。
神話風なスタイルを感じさせ、愛情の怖さを描いたザイダ・バリルート監督の手腕は悪くない。
ただ、肝心の息子の価値観が掴みづらい。もしかして描かれなかった父との関係が影を落としているのかと邪推する。
俯瞰のショットや作品を彩るポップソングの数々が印象的。
ログインしてコメントを確認・投稿する