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2019年03月12日23:58

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音楽之雑談帖(その81)―ミヒャエル・ギーレン氏の訃報

ミヒャエル・ギーレン氏の訃報が伝えられました。享年91。ここしばらく、ギーレン・エディションとしてこれまでの録音が纏められて発売されていましたね。

<引用開始>

指揮者・作曲家のミヒャエル・ギーレンさんが3月8日、オーストリア、モントゼーの自宅で亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。

ミヒャエル・アンドレアス・ギーレンは、1927年7月20日、高名な演出家の父親と女優の母親というきわめて劇場的な環境のもと、ドレスデンで誕生。その後、父がベルリン国立歌劇場の指揮者クレメンス・クラウスに招かれたため、ベルリンへ移りますが、同地が反ユダヤ政策の本拠地であったこともあり、母がユダヤ人のギーレン家は、ウィーンへ逃れることになります。しかし、1940年にはオーストリアはナチス・ドイツに併合されてしまったため、父がエーリッヒ・クライバーから招かれたこともあって、一家はアルゼンチンへと亡命。同地でギーレンは、作曲・ピアノ・理論・哲学を学び、テアトロ・コロンの練習指揮者をつとめます。

 その間、1949年には同テアトロ・コロンで作曲者の生誕75周年を祝い、シェーンベルクのピアノ作品全曲演奏会を開く一方、『弦楽四重奏のための変奏曲』を作曲するなど、若い頃から前衛的な作品への取り組みはきわめて積極的だった模様です。同時に歌劇場の練習指揮者として劇場人としての経験も積んでおり、1950年からウィーン国立歌劇場の練習指揮者も務め、1952年には指揮者として正式にデビューしていますが、プログラム前半はシェーンベルクのピアノ曲、後半は『兵士の物語』というなんとも斬新なものでした。また、この頃にはまだ若かったアルフレート・ブレンデルとシェーンベルクのピアノ協奏曲の世界初録音をおこなっています。

そうした実績が買われてか、1960年から1965年にかけてはストックホルム王立歌劇場の首席指揮者として、また、1965年から1968年にはケルン歌劇場でも活躍。この頃の前衛的活動としては、B.A.ツィンマーマンのオペラ『兵士たち』の初演(1966年)や『ある若き詩人のためのレクイエム』初演(1969年)という二大傑作への取り組みが有名です。特に前者は演奏不可能と言われていた作品だけに、ギーレンの果敢なアプローチが果たした役割は非常に大きなものと思われます。

その後、1969年からはアンドレ・クリュイタンスの後任としてベルギー国立管弦楽団の首席指揮者となり、1973年から1975年はオランダ歌劇場、1977年から1987年はフランクフルト歌劇場の芸術総監督、シュトゥットガルト放送交響楽団の指揮者としても活躍。 同じ頃、1978年から1981年にはロンドンのBBC交響楽団の首席客演指揮者、1980年から1986年にはシンシナティ交響楽団の音楽監督も務め、1986年から現在までは南西ドイツ放送交響楽団の首席指揮者として世界的名声を獲得しているのは周知のとおり。

日本には1975年と1972年にNHK交響楽団の招きで来演して以来しばらく音沙汰が無く、ようやく1992年に手兵の南西ドイツ放送響と来日して、そのときは一部で大いに話題になったものです。
レコーディングは1950年代後半からおこなっており、レパートリーはバッハから前衛音楽まで実に多彩。1970年代には名高い『モーゼとアロン』をレコーディングして大きく注目され、以後、複数のレコード会社にさまざまなレパートリーを録音してきました。

<引用終了>

出典Web:https://www.hmv.co.jp/fl/12/2816/1/

わたくしがギーレンの名前を知ったのは、割に遅くて21世紀に入ってから。ヘンスラーから出ていたマーラーの交響曲の録音のうち、第二番『復活』交響曲を聴いて、いやこの指揮者凄い、と大いに感心してから。精密機械を見る様な、一分の隙も無く緻密に構成された音響に、非常に魂消ました。次に第六交響曲を聴いて、その青白く妖しく冷たく輝く、何か研ぎ澄まされた日本刀を見る様な印象を受けた記憶があります。更に第八交響曲『千人の交響曲」を聴いて、あの大編成のオーケストラ、合唱団を一分の隙も無く統率する力量に、圧倒される思いが。

この後第九交響曲、第10交響曲と買い進めてきた所で一旦頓挫して、暫く時間が経過して全集として纏められたのを知って、大いに煩悶したものでした。その後この全集が非常な安値で輸入盤屋の店頭に並んでいたので、随喜の涙を流して(大袈裟)購入したのでありますが、20世紀中の録音には、最初に挙げた三曲でわたくしが圧倒された、指揮者ギーレンの凄まじさがそれ程色濃くなくて、ちょっとがっかりした思いが。

ある時期マーラーの交響曲演奏、と言えばわたくしにとりましてギーレンの演奏が第一、でありました(今は幾らか呪縛も溶けて、他の指揮者の演奏も心穏やかに―ギーレンの演奏に比べここが違う、あそこが手ぬるいという意識を左程せずにー聴ける様になりましたが、今でも印象は鮮烈なものが。謹んで故人の御冥福を心より御祈り申し上げます。(写真はわたくしが圧倒された、マーラーの第二・第六・第八交響曲のギーレン盤)
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