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2018年11月25日22:09

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歴史之雑談帖(その217)―続・仁徳天皇陵陵の発掘調査

仁徳天皇陵の発掘調査で、埴輪が出てきたり、石を敷き詰めた盛り土部分が明らかになったりと、色々新たな発見が伝えられていますが、別の発見もあった様で。

<引用開始>

仁徳陵で焼夷弾?見つかる 昭和20年の堺大空襲か

堺市堺区の仁徳天皇陵(大山古墳)から、古墳築造当初の円筒埴輪(はにわ)などとともに、焼夷弾とみられる筒状の鉄製品が見つかった。発掘調査をしている宮内庁や堺市によると、昭和20年7月10日未明に同市中心部を襲った堺大空襲の際に落とされた可能性があるという。

筒状の鉄製品は、墳丘を囲む堤から2本分が見つかった。長さ約40センチ、太さ8センチの六角形で、中は空洞だった。地面に突き刺さるような状態で残っていた。同庁などは警察へ連絡し、自衛隊が処理をしたという。堺大空襲は昭和20年7月10日午前1時半頃に発生。米軍による空襲があり、1860人が犠牲になり、民家など約1万8千戸が焼失したという。仁徳天皇陵にも焼夷弾が落とされ、事務所が炎上したとされる。調査担当者は「古墳時代だけでなく、戦争の歴史も物語っている」と話した。

<引用終了>

出典Web:http://news.livedoor.com/article/detail/15635918/

戦国時代には、罰当たりな事に砦として使われた事もあった様ですから、また何か意外なものが出て来るかも知れませんね。
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