『全身小説家』
全身全霊にフィクション、それがアーティストのリアルである。事実ではなく真実、それが生きる姿に課せられるものである。原一男という第三者に客観的考察を委ねることにより、フィクションというリアルのパースペクティヴをはっきりと現わさんとする。このドキュメンタリーを撮り始めるときの主題は別のものであったらしいけれど、井上の意図に原はのめりこまれたのであろう。井上は自らの生き方の検証を深めさせ、アートとはこれであるとはっきり主張せしめる。
井上光靖は知らなかった。知らなかったけれど、三時間の尺の作品、のめりこんだ。そもそもこのヒト、天平の甍の作者だと思っていた。前半の女性たちの告白、長いテイクから原自身の眼差しが切り取り抽出した部分なのだろうけれど、井上って、渡辺淳一のようなエロ作家なのか、と勘違いさせる切り取りである。対象が映画作家を突き動かすのではあるが、眼差しの残像はやはり映画作家のエロに浮かび上がるである。これもまたエロスなのであり、生を浮かび上がらせている
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