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2017年06月07日22:20

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音楽之雑談帖(その66)―イルジー・ビエロフラーヴェクの訃報

チェコ・フィルの首席指揮者を務めていた、イルジ―・ビエロフラーヴェク氏の訃報が伝えられました。音盤を買いに、新宿の某塔音盤店に足を運んだら、「追悼 イルジ―・ビエロフラーヴェク」というコーナーがあって、吃驚仰天。

<引用開始>

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、音楽監督のイルジー・ビエロフラーヴェク氏が癌との長い闘病の末、2017年5月31日に亡くなりました。71歳でした。

21世紀に入り、一時期低迷を伝えられたチェコ・フィルハーモニー管弦楽団ですが、2013年、ビエロフラーヴェクが20年振りに楽団に返り咲くと、数々の偉大な成功を収め、英デッカ・レーベルへの新たなドヴォルザーク・シリーズが好評を得るなど、国内外で名誉ある地位を取り戻してきました。われわれ日本人にとっても1970年代から長く日本のオーケストラに客演して、なじみの深い指揮者です。現役の巨匠指揮者の突然の訃報に寂しさを禁じ得ません。イルジー・ビエロフラーヴェクは1946年2月24日、プラハで生まれました。弁護士、裁判官だった父親は幼い頃から息子をクラシック音楽に親しませ、4歳で少年合唱団に入団し、すぐにピアノを始めました。ミロシュ・サードロにはチェロを学び、プラハ音楽院とプラハ芸術アカデミーで音楽の勉強を続けました。指揮を始めたのもこの時期です。

1968年、伝説的なルーマニアの指揮者セルジュ・チェリビダッケはビエロフラーヴェクを助手に招き、彼はこの巨匠から2年間教えを受けます。1970年にはチェコ指揮者コンクールに優勝、1971年にはカラヤン指揮者コンクールのファイナリストとなりました。1970年、ビエロフラーヴェクは初めてチェコ・フィルを指揮しています。これがチェコ・フィルとの長い関係の始まりでした。1972年、ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任(1978年まで)。1977年にはプラハ交響楽団の首席指揮者に就任(1989年まで)。この間、チェコ・フィルの首席指揮者だったヴァーツラフ・ノイマンは1979年にベルリンのコミーシェ・オーパーにビエロフラーヴェクを紹介し、スメタナの歌劇《秘密》でデビューさせました。翌年には同劇場でストラヴィンスキーの歌劇《道楽者のなりゆき》を指揮しました。

その10年後、ビエロフラーヴェクはノイマンの後継者としてチェコ・フィルの首席指揮者に就任し、ターリヒ、クーベリック、アンチェル、ノイマンと続く偉大なチェコ人指揮者の系譜に加わりました。ところが、ビロード革命後の深刻な財政危機のため1991年にチェコ・フィルは再編成され、ドイツ人のゲルト・アルブレヒトを新任の指揮者に指名。ビエロフラーヴェクはアルブレヒト就任まで首席指揮者を続けたものの、1992年には失意のうちに辞任します。1994年、彼はプラハ・フィルハーモニーを設立し2005年まで率い、その後は桂冠指揮者に就任。同時に世界の主要オーケストラへの客演を続け(ベルリン・フィル、ボストン交響楽団、クリーヴランド交響楽団、、ニューヨーク・フィル、NHK交響楽団、フィラデフィア管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、サンフランシスコ交響楽団など)、エジンバラ、ルツェルン、モントルー、パース、プラハ、ザルツブルク、タングルウッドなどの国際音楽祭に出演しました。1995年にはイギリスのBBC交響楽団の首席客演指揮者となり、2000年まで務めた後、2006年に首席指揮者に就任しました(2012年まで)。

ビエロフラーヴェクの録音は、LP時代はチェコ・スプラフォンやチェコ・オーパスなどにあり、CD時代に入るとチェコ・スプラフォンと並行して英シャンドスや仏ハルモニア・ムンディへの録音が増え、近年では英デッカへドヴォルザークの作品をシリーズとして録音していました。現在、取扱い中のCDや映像作品を下記「関連商品」にまとめました(発売の新しい順)。これらの仕事と並行して、1997年にプラハ芸術アカデミーの教授に任命され、2009年までは指揮科の部長を務めました。彼の門下には若いチェコの指揮者、トマーシュ・ハヌス、ヤクブ・フルシャ、トマーシュ・ネトピルが含まれています。

2012年5月、ビエロフラーヴェクはイギリスのエリザベス2世よりCBEを授与されました。チェコでは一級功労賞メダルを授与されました。70歳を超え、名実ともに巨匠となり、数々の栄誉や名声に包まれ、これからさらに素晴らしい名演奏を実演に、CDに聴かせてくれるに違いないと多くの方が期待していたと思います、寂しいだけでなく、大きな喪失感を感じているのは筆者ばかりではないことでしょう。改めて、ビエロフラーヴェクがわが国に残してくれた様々な功績を讃えつつ、この項を閉じさせていただきます。

<引用終了>

出典Web;http://tower.jp/article/campaign/2017/06/02/02

おや、と思ってグーグルで検索を掛けてみたのですが、訃報を伝えた新聞はなかった様ですね。ううむ。

わたくしは一度、ビエロフラーヴェク/チェコ・フィルの組み合わせを聴いた事があります。前半の曲目がなんであったかは記憶が飛んで仕舞っているので、何も申せませんが後半は十八番のドヴォルザークの新世界交響曲。ドヴォルザークの作品を演奏する、チェコ・フィルの音色には堪らぬものがありまして、大いに堪能致しました。チェコ・フィルは随分何回も、ノイマンと来日公演があったのですが、タイミングがいつも悪くて、こちらの方の実演は遂に聴く機会がありませんでした。
わたくしが聴いたのは、最初にビエロフラーヴェクがチェコ・フィルの常任に就任した時代。チェコ・フィルの特色(と勝手にわたくしが思っているだけかもしれませんが)を良く生かした、清潔感溢れる―余りごてごてと盛らない―演奏であった記憶が。

その後折り合いが悪くなって一旦辞任。その後チェコ・フィルは短いサイクルで常任指揮者が次々に代わり、ちょっと低迷していた様に思いますが、その後フビエロラーヴェクが常任に返り咲いたのはニュースとしては知っていました。

引用した記事には、ビエロフラーヴェクのインタビュー映像が添付されていますが、抗癌剤の影響か、ツルツル頭になっていたのは聊かショックでありました。

謹んで故人の御冥福をお祈り申し上げたい、と思います。
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