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2017年02月15日22:33

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若き日の加藤尚武先生?

「そして十一月末、自治会委員長選挙がやってきた。」
「しかし、ブントの劣勢は明瞭で、第一候補の加藤尚武、そして第二候補の河宮信郎がクラスの自治委員選挙で落選した。つまり委員長に立候補する資格を失ったわけである。」
「私のクラスには共産党がおらず、クラスの自治委員になることができた。」
「まったく勝目がなく、勝とうとすれば、共産党ゆずりの「ボルシェヴィキ選挙」に頼るほかなかった。つまり、民主主義の原則をふみにじって、まやかしの選挙をやるわけである。投票用紙の原紙が盗み出され、用紙の増刷をし、私をふくめ何人かが駒場の裏手にあった旅館で待ちかまえていた。ブントの集票人が人眼を避けて旅館に走り込み、そこで票の入れ替えがおこなわれる。実数は、おそらく、共産党候補六割、第四インター候補三割、そして私の票が一割である。」
「私も、いっとき、一部で、安保の輝ける東大委員長といわれたこともあるらしいが、なんのことはない、贋の委員長だったのである。共産党はすぐに事態を察知したのだが、たぶん、学生運動にたいする信頼を損なってはならないという大人の配慮から、真相究明に乗り出すようなことはしなかった。もし再投票ということにでもなれば、私は満座のなかで一片の襤褸(ぼろ)と化していたはずである。」

西部邁『六〇年安保−センチメンタル・ジャーニー』(文藝春秋・1986年)p.36−37

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加藤尚武氏の肩書は、ウィキペディアによれば、

・京都大学名誉教授
・公立鳥取環境大学名誉学長(初代学長)
・人間総合科学大学特任教授
・元東京大学特任教授

とのこと。立派な学者さんだ。

僕は、たぶん1990年代に、主に環境倫理学の関係の本を読んで、彼を知った。
当時の日本で、応用倫理学の立場から発言する学者としては第一人者だったのではないかと思う。
その後、彼がヘーゲル研究の大家でもあることを知り、その関係の本も何冊か拾い読みした。ヘーゲルの解説書としては、比較的平易な言葉を使い、誠実な学者さんだという印象があった。
写真から受ける印象も温厚そうで、こういう人であればこそ、日本哲学会の会長も務められ、瑞宝中綬章を叙勲されても不思議ではないと思っていた。

しかし、ウイキペディアを見ていて、

「なお妻の姉は廣松渉の妻である。」

というのはまだしも、エピソードとして、

「東大在学中は共産主義者同盟(ブント)に加盟。教養学部自治会委員長選挙の際、加藤は西部邁らブントの構成員と投票用紙を偽造してすり替え、共産党員の候補を落選させる。」

とまで書かれていたのには、少し驚いた。
若い頃は、随分と「ヤンチャ」であったわけだ。

真偽を確かめたく思い、このエピソードの出典である西部邁の著書を見てみた。
(ちなみに、西部邁は、北海道札幌南高校の出身で、僕の先輩。)
冒頭に引用したのは、その該当部分。

加藤の実行行為の具体的な内容までは分からないが、まあ、「共犯者」であったのだろう。
倫理を語る者にはふさわしくない、随分と幼稚な犯行だ。

我が国の応用倫理学の泰斗にも、若気の至りがあったということか。
まあ、人間なんてそんなものかもね。

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