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2016年11月16日23:58

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歴史之雑談帖(その181)―飛鳥大仏の調査

明日香村にある飛鳥寺は、日本最古の本格的寺院である事は周知の事と思います。現在はこぢんまりとして、嘗ての壮大な伽藍はその面影もないのでありますが、それでも蘇我馬子が建立したお寺が現在も健在である、と云うのは(失われたお寺も数多い事を考えると)ある意味凄い事ではないか、と単純なぢぢいのわたくしは感心することしきりでありまして。

御本尊の通称飛鳥大仏は、これまた創建当時から現在の位置に据えられているそうで、日本の歴史を見続けて来た事になります。生憎後世の補修の手が大きく加えられている事が原因で、国宝になってはいないのが惜しい所。

その大仏様の右手と御尊顔は、造られた当初のものではないか、と云う調査結果が発表されたそうです。

<引用開始>

右手と顔は造立当初? 飛鳥大仏、大阪大が調査

奈良県明日香村の飛鳥寺(6世紀末)の本尊・飛鳥大仏(国重要文化財)の右手と顔の部分が造立当初のものと考えられることが、大阪大の藤岡穣教授(東洋美術史)らの調査で分かった。13日、県立橿原考古学研究所付属博物館の講演会で報告された。飛鳥大仏は現存する最古の金銅仏とされる一方で、補修跡が目立ち当初の部分が少ないと考えられ、国宝指定されていない。鎌倉時代の火災で顔と手以外が失われ、補修されたと記す文献があり、残存部分を巡り論争があった。

藤岡教授らは今年6月、エックス線装置で全身126カ所の金属の成分比を調べたほか、表面状態を観察した。右手の成分は鉛とスズの割合が高く、飛鳥時代の「止利派」の仏像の特徴に近いことなどから、当初のものであると判断した。顔の大部分は、成分の差異があまりないことなどから一体で造られた状態と判断、頭部が焼け残ったと記す文献と矛盾がないとし、大部分が当初のものである可能性があると推測した。胴体は顔と成分が近いが、表面の状態が粗く、火災後に造り直されたものと判断した。

<引用終了>

出典Web:ttp://www.sankei.com/photo/story/news/161113/sty1611130012-n1.html

この調査結果が間違いないものとすると、蘇我馬子や聖徳太子も拝んだであろう、同じ御仏を遥か後世の我々も拝める、と云う事でありまして。古いものに無闇に感心するわたくしとしましては、より一層ありがたみが増す様な。また時間を拵えて、拝みに行きたいものでありますね。
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