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2016年04月29日23:54

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温故知新所蔵盤聴き直し雑談帖(その11)―Erich Kleiber Decca Recordings 1949-1955

さて、残り2枚の感想文を書いていなかった、おやぢクライバーのデッカ録音集成。6枚目のモーツァルトのドイツ舞曲、交響曲第39番、そしてシューベルトの第九交響曲を収めた一枚に辿り着きました。この一枚に収録されている曲目は、何れもケルン放送交響楽団を指揮しての演奏。添付のブックレットの解説によると、何れも放送用の録音と云う事だそうでして。

1950年代のドイツの放送交響楽団は、以外な程下手糞な録音が残っていたりして、おやおやと思わされた事もないではないのですが、ここで聴くケルン放送交響楽団は、そうした事もなく(コンセルトヘボウ管弦楽団や、ウィーン・フィルの様な独自の音色美、と云う物の持ち合わせはないものの)、力量的には問題はないかと思う次第。指揮者の意図する所を先ずは十分に伝えていると云って宜しいでしょう。

わたくし、モーツァルトのドイツ舞曲が割に好きなのでありますが、フル編成のモダン・オーケストラを指揮した例は、有名所はワルター/ウィーン・フィル位ではないか、と。勢い、ワルターとの比較になって仕舞うのでありますが、ワルターの演奏に比べて、ドイツ音楽色の濃い演奏と云って良いかと思います。ベームのモーツァルトに通じるものがあると思いますが、ベームはドイツ舞曲の演奏を残していない(筈)なので、些か立派過ぎと言えなくもないけれど、この演奏は御贔屓でありますね。

第39番も同じことが言えるのではないか、と思います。昨今のわたくしの大嫌いな古楽器系の演奏では、早目のテンポを取って、聴き手の耳を(ある意味)無闇矢鱈に引き摺り回す様な印象がぬぐいきれないのですが、此処で聴けるおやぢクライバーのモーツァルトは、ずっしりとした響きでありながら、細やかさに欠ける事もなく、がっちりした構成感でもってモーツァルトは、その本質はドイツ音楽であったなと改めて認識させてくれる演奏か、と。わたくしは重厚なモーツァルト演奏が好きなので、このおやぢクライバーの演奏は中々気に入りました。
先程あげたブックレットの解説によると、これはおやぢクライバー最後の演奏会の録音だそうでして。この演奏の1週間後、モーツァルトの誕生200年のその日に、おやぢクライバーはチューリッヒのホテルで没したとの事。嗚呼。フルトヴェングラーもそうですが、願わくばもう少し寿命を与えて、ステレオ時代にも録音をもっと残して欲しかったですねえ。

シューベルトのグレート交響曲の方は、1953年の録音。わたくしはシューベルトの交響曲は、ベームが刷り込み盤なもので、勢いベームの演奏との比較になって仕舞いがちなのですが、おやぢクライバーの方がディテールにおいて表情がより細やかな印象を受けました。演奏時間を比較すると、ベーム/ベルリン・フィル盤より少しづつテンポは速い様ですが、それ程速い印象は受けませんでした。モノラル盤のグレート交響曲の演奏、と言いますとフルトヴェングラーの戦時中の実況録音盤、戦後のスタジオ録音盤(何れもオーケストラはベルリン・フィル)が夙に有名でありますが、おやぢクライバーの演奏も、忘れてはならない演奏の一つではあるまいか、と思いますね。

と云う訳で、聴き通すのに大分時間が掛かりましたが、収録されている演奏を聴いて、おやぢクライバーにはもう少し光が当たっても良さそうに思います。倅の方が日本にも来て、その演奏に接した人も多いし(かく申すわたくしもその一人ではあります)、時代がぐっと近い事もありましょうが、左程条件の良くないモノラル録音であっても、おやぢクライバーの演奏は一聴の価値は十分にあると考える次第。もう少し未だ知られていない録音が出てこないものでありましょうか。
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