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2015年09月28日22:05

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世界を知りたい-イシュメールの人物像(2)

「じゃが、何で鯨取りをやりたくなりなすった?」
「捕鯨というものを知りたいんです。世界を知りたいと思っているんです。」
「然らばじゃ、ちょっと走って行って、舳(みよし)の風上のところを覗いてみなさい。覗いたら帰って来て、何が見えたか、言うてみなされ」
「水ばっかりです。けれども水平線はかなり広く見えました。疾風が来そうです。」
「よし、そこで世界見物の話はどういうことになるな? ホーン岬を回って、あれをもっと見たいと思うかの? いまいるところでも、世界は見えようが」

田中西二郎訳『白鯨(上)』(新潮文庫・2006年改版)
第16章 p.160〜162から

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出帆準備を進めるピーレグ船長に対して、イシュメールはピークォド号のへの乗船を申し出る。
ピーレグ船長は、イシュメールに志望動機を糾す。
イシュメールは「世界を知りたい」と答える。

はたして、捕鯨船に乗ることによって「世界を知る」ことはできるだろうか。
これは、なかなかの問題だ。

航海に出れば、捕鯨船を取り囲むのは果てしない「海」だ。
陸上に比べれば、変化には乏しいように思われる。
「世界」を知りたければ、陸上を旅行した方がよいだろう。
遠くの国を見たいのであれば、寄港地が限られる捕鯨船よりも、彼が乗っていた商船の方がよいだろう。

ここで思い出す言葉がある。先日も引用した、サン=テグジュペリの『人間の土地』の最初の一文だ。

「ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。」

サン=テグジュペリは、大地のみならず「空」についても同様だと言っている。なぜならば、空は人間に抵抗し、人間は抵抗と闘う中で真理を学ぶからだ。

海は、人間に抵抗する。と言うよりも、海は人間に襲いかかってくる。
それ故にこそ、海に出ることは、とりわけ捕鯨に携わることは、人間の真実について学ぶ道のひとつであると言えるのだろう。

柴田元幸は、新潮文庫版の帯に書かれた「推薦」文の中で次のように書いている。

「すべて鯨の話でありながら
世界すべてを取り込んだ小説」

この言葉が正しいのであれば、イシュメールは、捕鯨船に乗り組むことによって「世界すべて」を見通す視野を得たと言えるのかもしれない。
この柴田の評を正しいと感じるかどうかは、読者の側の「世界」観に依るだろうが、僕には真実であるように感じられる。


イシュメールは、ある種の「若さ」から、「世界を知りたい」と言ったのだと思う。その姿は、捕鯨船に相応しい荒くれ男というよりも、好奇心と素朴な大望に満ちた若者のようだ。ピークォド号での経験が、彼に何を与えるかについて、彼が具体的な展望を持っていたとは思われない。あったのは、風来坊としての思いつき程度のものであったかも知れない。

「世界を知る」ためには、グライダーなんかに乗るよりも、旅にでも出た方がよいかも知れない。しかし、グライダーに乗って、空を飛ばなければ知ることが出来ない「世界」もあるのではないかと僕は思っている。

■イシュメールの人物像
(1)航海の前と後(2015年09月27)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946448065&owner_id=2312860

■白鯨/メルヴィル/コンラッドに関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=357007154&owner_id=2312860
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