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2015年09月27日18:50

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航海の前と後-イシュメールの人物像(1)

メルヴィルの『白鯨』を10年ぶりに読み直し始め、第27章まで来た。全部で135章(とエピローグと語源の部と文献の部)からなる大作の2割ほどのところだ。
『白鯨』は、自分の足を奪った白いクジラ「モビィ・ディック」を追うエイハブ船長の物語として知られているのではないかと思う。しかし、第27章までで、まだエイハブ船長は出て来ていない。正確に言えば、登場人物たちの間で話題にはなっているのだが、まだ本人は出てこない。そもそも語り手であるイシュメールが「ピークォド号」に乗船するのが第21章で、ピークォド号が出港するのが第22章となっている。つまり、最初の20章は、陸(おか)の上の話なのである。そして、船が出港しても、船長室に引きこもったエイハブは出てこない。
それまでの間は、イシュメールの独白のような話と盟友クィークェグとのエピソードが続く。

この部分では、イシュメールの性格が分かる描写も多い。前に読んだときには読み飛ばしてしまったようなところで、今回、面白いと思ったことも沢山あった。
また、僕はイシュメールの人物像を取り違えていたかもしれないとも思った。僕はイシュメールを荒くれ男のように思っていた。しかし、この物語の始めの方の彼は、数度の商船での航海経験こそあるものの、捕鯨の経験はない。捕鯨船員としては、まだ「駆け出し」でしかないのだ。

どうして、このような誤解があったのか。
ひとつには、『白鯨』におけるイシュメールが「二重の人格」として描かれていることがあったと思う。つまり、この物語の導入部には二人のイシュメールがいる。
一人は物語の「登場人物」としてのイシュメールであり、彼にはまだ捕鯨の経験が無く、もちろん、あの地獄のようなモビィ・ディックとの闘いの経験も無い。若き「風来坊」にしか過ぎない。
もう一人は、この物語の「語り手」としてのイシュメールであり、彼は、自分以外の乗組員が全員死亡するという、あの地獄を生き延びた「生還者」だ。

この捕鯨航海(というよりも沈没事故)の前と後とでは、主人公にも人格の変化(ある種の「成長」)があったのではないかと思う。しかし、航海後の本人が航海前の本人について描写しているため、その前後が渾然としている。

航海前のイシュメールがどのような人物(若者)であったか。そのことは追々考えてみたい。

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