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2015年07月28日00:36

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点鬼簿之雑談帖(その47)―竹島紀元氏の訃報

元鉄道ジャーナル社社長で、長年同誌の編集長も務めていた、竹島紀元氏の訃報が伝えられました。享年89、との事ですから天寿を全うした、と申し上げて宜しいかと思います。

わたくしにとって同氏の御名前は、今を去る事半世紀近くも前、小学生だったわたくしが世の中に鉄道趣味雑誌、と云うものが存在する事を初めて知った頃、でありました。その頃の鉄道雑誌は今でも健在の鉄道ピクトリアル、鉄道ファン、そして鉄道ジャーナルでありました。この三誌のうち、鉄道ピクトリアルは当時のわたくしに取りまして、文章が多くてまた昔の話が多くて中々付いていけず、鉄道ファンは写真が多かったのですが、その分高くてお小遣いでは手が出ない事が多く、勢い鉄道ジャーナルを購入する事が多かったのではありました。

が、当時の鉄道ジャーナルには、列車追跡シリーズと云った、一つの列車に乗り込んで其処に浮かぶ人間模様や鉄道関係者の思いを綴ったルポルタージュ、確か『桐と動輪』と云う題名の連作鉄道小説等が連載されていて、中々面白かった事を記憶して居ります。その独自の編集方針を取っていたのが、当時の編集長であった竹島氏でありました。

その後、鉄道雑誌を購入する習慣を一旦失ってから、再度あれこれ購入する習慣が復活したのでありますが、その頃は鉄道ジャーナルの編集方針がどうも性に合わず(先年物故した、種村直樹氏が中心となった記事作りが、どうも面白くなかった)、鉄道ジャーナルに手を出す事は無くなっていたのでありました(列車追跡シリーズも終わって仕舞っていましたし)。

鉄道ジャーナル誌も近年は、部数的には売り上げが余り芳しく無かった様で、別の出版社の傘下に入ったとかでありまして、竹島氏も高齢もあって社長の職から退いて居られた様に記憶して居ります。

嘗て随分楽しみにしていた雑誌の編集に、長年関って来た方の訃報に接し、感慨ひとしおの物があります。謹んで故人の御冥福をお祈り申し上げたいと思う次第です。
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