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2015年03月18日18:27

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七重浜−飢餓海峡(2)

「このロケで吐夢らスタッフ一同がもっとも総力をあげなければならないのは、冒頭の七重浜における台風到来のシーンであったが、期待に反して望んでいるような天候はなかなかおとずれなかった。その間に岩内をはじめ函館、さらに下北半島のロケもすすめられていった。」
「函館にもどり、いよいよ七重浜ロケの準備にはいった。」
「吐夢が得意とした自然の猛威をとりこんだこの雄大なシーンを映像化するには、三台の消防車をはじめパトカー、トラックのほかに五百人のエキストラが必要であると製作主任の[内田]有作は考えた。当然ながら予算枠では不可能なことであったが、市や浜の人々の協力がえられ実現に漕ぎつけたのは有作の力によるところが大であった。」
「しかしながら台風の到来をつたえるような高波は、なかなかやってこなかった。高波の予報がだされるとスタッフおよびエキストラは七重浜に待機し、撮影用クレーンや和船のうごきなどのテストがおこなわれた。だが波はこず、中止となった。
 そんなことがくりかえされ、はじめてこのシーンの撮影に成功したのは十月九日、東京オリンピック開会式の前日であった。」

鈴木尚之『私説 内田吐夢伝』(岩波書店・1997年)p.351〜355

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映画「飢餓海峡」に関連する本でも読もうかと思って監督の名前で図書館の蔵書を検索したら「私説」と銘打った伝記があった。映画評論家の思い入れたっぷりの本かと思って、あまり期待しないでながめ始めてみたら、これが存外に面白かった。
著者は「飢餓海峡」の脚本を書かれた方であり、私説というのは、内田監督の傍に居たことから、客観的というよりも愛憎も含めた主観から描いたという意味合いであったようだ。
当然、映画撮影の舞台裏についても面白いエピソードが随所に描かれている。

あの名画が、僕の誕生(1964年5月)の前後に進んでいたことを知った。

ちなみに、この映画の製作主任の内田有作氏は、監督の子息とのこと。後には「仮面ライダー」シリーズを撮られたらしい。

■飢餓海峡
(1)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1938600952&owner_id=2312860

■七重浜
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1938753681&owner_id=2312860
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