愚息の所望による映画通いも、かれこれ20年近くになり、近頃は月2本のペースを自然と維持している。愚生の方には見たい映画などないので、言われるままに見ているが、映画を見てから原作に興味が湧くケースもちょくちょくある。古くは、宮部みゆき「ブレイ
下北半島、むつ市の葬儀から戻ってきた。青森空港から車で二時間ほどかかるので、一泊二日とは言え、夕刻出発して次の日の夕刻の飛行機の時間に間に合わせるのはあわただしかった。 以前に来たのは弟夫婦の結納のときだった。その時にも出てきた郷土料理「
先週はきつかった。月刊メランジュに投稿した詩を、ここにも上げておく。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ろっけんみちアーケードの切れたあたりを左に曲がると和菓子屋は赤飯を売り散りばめられた小豆が暗号でその
風呂敷の四隅とりあげ四面楚歌(村木佐紀夫) 「もとの会」解散となってから、句会報に書いていた村木佐紀夫の句鑑賞は途切れていた。途切れ途切れではあっても、鑑賞は行いたい。したがって、このシリーズで気の向いたときに随時挿入する。 四隅をいちどき
昨日は仕事の関係で、午後から吹きさらしの中を半日過ごした。雨が通り過ぎた直後だったのは幸いだが、どえらく寒かった。場所が日陰であったことも体を冷やしてくれた。 八〇年代後半の一時期に月に一度必ず通った場所があった。とある美術家が、持ってい
刻まれて葱の時間の立ちのぼる(谷川すみれ) 句集「草原の雲−不自由な言葉の自由−」より。 当たり前の事ながらうっかりすることの一つに、我々は宇宙に包まれている、ということがある。 日常生活の多くは、人と人との交渉に明け暮れ、たまの時間の
爪切れば棒は薮からやってくる垢すりの薄く血の出る卑弥呼論錆色の絵の具散らして大和歌公理混乱ブラックホールが反吐を吐く
昨日は、mixiの方がダウンして書き込めなかった。一体何を書くつもりだったかも忘れてしまった。 おそらく、句鑑賞の続きだったかと思うのだが、一度気をゆるめると書けないものだ。この件は捲土重来を期そう。 木曜から週末にかけて、少々荷の重い仕事が
フィッシャー・ディスカウの「冬の旅」を、LP盤で持ったままほったらかしにして長い月日が経つ。久しぶりに聞いてみようかという気になって、ネットを渉猟してみた。引っかかったのを聞き出すと、なにやら伴奏のピアノの顔に見覚えがある。アルフレート・ブ
水温む音のみ聞いてゐるテレビ(岡田由希) 句集「犬の眉」より。 ラジオと異なり、テレビの映像を眺める行為は人を怠惰にしてしまう。冬は特にそれがひどくなる。だが、寒気が緩めばそろそろと色んなことが気になり出す。気になり出せば、人は動き始め
川本皓嗣「日本詩歌の伝統−七と五の詩学」に都々逸などの近世歌謡調に関する一節がある。その説くところに寄ると、そうした歌謡では、初句の七音句の冒頭に休符が置かれる。これは都々逸を唄っているのを聞けば明らかであるし、その調子は岡本真夜「TOMORR
二部は「短歌・Twitter・文学フリマ」と題打ち、中山奈々・久留島元が聞き役となって、歌人の土岐友浩から、ITネットワークと連動した若き短歌フリークたちの盛り上がりぶりを拝聴する趣向で行われた。 愚生も五七五七七をたまに書くのだが、他人が何を
年の暮れにやるはずだった、恩師・悪友取り混ぜての一泊旅行を明日からやる予定だったが、悪友がインフルエンザでダウン。他のメンバーとも相談して延期することにした。 年の暮れから新年に持ち越したのは、愚生の都合による。悪友共々、年を取ると体調の
ターナー主催のGOLDEN COMPETITION 2014で、応募していた愚息の絵が佳作に選ばれた。 http://turnergallery.net/news/1343.html 入選作の展示が2月に大阪・東京であるようだが、優秀賞以外は、写真展示とのことなので、ネットで告知するほどでもなかろ
年が変わってしまったが先月の20日、伊丹の柿衛文庫にて第三回の「俳句ギャザリング」があった。愚生は二回目を見学し損ねているので、見に行くのは二年ぶりになる。 一回目と二回目は神戸の生田神社会館が会場だったが、場所を変えて、中身の方にも若干