背信のじとっと濡れた靴を履く(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 背信と濡れた靴が心理的に近いので、句会に出句された句なら愚生の選には入れないだろう。 だがそれにしても、じめじめとした濡れた靴の心理的効果は侮りがたい。
見返りの坂から月へ昇る墓(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 昇るのは墓という奇想が句意なのだろうが、遺句集の中に置かれると昇るのは作者で、作者が己の墓を見下ろしているような読みの錯覚に陥る。だが、まあそれは置いておこ
歌舞伎座の裏でばらけてしまう午後(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 歌舞伎鑑賞の後に、それじゃまたねと散会する歌舞伎愛好家の集まりと読める。ただそれでは、「ばらけてしまう」にある否定的なニュアンスは、歌舞伎鑑賞後の感
会議室から音のない空を見る(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 二句前に、「音の出るものを天神さんで買う」がある。両者を橋渡しして、「つくづくを繋ぐ駱駝のゆくゆくや」を置く。無味乾燥たる現代生活の活写が行われていると見
再会をしてもあなたはパーを出す(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 あなたと書いてあるが、あなたから作者に向かって言われた言葉ではなかろうか。とぼけつつ、わざと負けてやる人柄と思われる。パーは握手の始まりでもある。
窓の位置定まり馬はまた歩く(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。馬の位置ではなく、窓の位置が定まるのは馬が静かに佇んだせいだろう。たまたまその位置を見ることができた作者の奇跡。 しかし、それはほんの僅かの出来事である。馬
水垢を水で洗えば佐渡おけさ(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 「豆を煮るに豆殻を以てす」を思い出すような構図。もっとも、哀切きわまりない故事に比べると、日常生活の面倒な些末事は笑える。水垢に汚れた風呂桶を洗いながら、
追伸のそれは見事なジャズである(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。ジャズ、特にアドリブを意識しての句であろう。 追伸は何を書いても良い。本文と付かず離れずの関係を保ちつつ、その場で思いついたことを書いてゆく。うっかりす
月に手をゆらりと置けば母が来る(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。彼には珍しい母物。思えば、家族については語らない人であった。であるから、生涯に母物一句鵙の贄、というような駄句までつい出てしまう。 月は何の比喩であろう
ボロボロになったものなら信じよう(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。軽くジャブを放ったようなマニフェスト。軽いけれども揺らがない。ボロボロになるまであることが信頼につながる。信じてから起こす行動を、ちょっと見てみたい。
無い袖を入れた金庫がここにある(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。一読、思いだした句が、「無い筈はないひきだしを持って来い」(西田當百)。 川柳では、句評の際に時事との絡みはよく話題にする。しかし、先行する句のことはあ
朝食時にふと思いついた句、食事を中断して句帳へ書き付けるかどうかを躊躇するうちに食事は終わり、食器を片付ける頃に忘れてしまった。よくあることである。 思い出すかどうかは運任せ。今回は食事手順を何度か反芻することで思い出せた。先ほど無事に記
昨日は、八時から五時半まで仕事。予定している作業量の半分が済んだ。残りは月曜日に回す。懸念となるのが日曜の句会。次の日を考えると適当に切り上げた方が次の日のためには良い。少し前までそんなことは気にもかけていなかったが、これも加齢現象だろう
年明けに予定されている句会の兼題が「オイル」。 この題に関連して、長年の疑問を確かめてみるべく検索を少々行ってみた。疑問は愚生のものではなく、阿久悠のエッセイにあった古い流行歌の歌詞に由来する。 歌は「雨のオランダ坂」https://www.youtube.