神の不在の現代に、祈りは可能か。というような問いの立て方を大江健三郎がしていたと記憶する。ぼんやりと可能ではないかと愚想するのは、群れを離れた猿が群れにいたときと同様に行動するらしい、と聞いたことに一因している。 行頭の一字空けも、PC打ち
年の瀬や濃厚スープ縮緬皺寒ぶ疣が並んだような古団地二句目は、川柳北田辺での題詠「団地」での作。句会では「寒ぶいぼ」で提出した。この句、出来はそう悪くないと思うが、作った当人には嫌な感じが残る。思い出と直結するからだろう。もう少し昇華できれば
毎年、殻付きの牡蠣を贈ってくださる人がいる。ありがたいのだが、殻を剥くのに若干の疲労感を覚えることも。ホットプレートで熱する方法だと、殻を剥く手間は省けるが、熱で飛び散る貝殻の清掃を考えると手間は同じようなものだろう。 今年は、届いた午前
例によって週末は愚息と映画鑑賞。土曜日が職場の餅つきだったので、映画鑑賞が日曜となったのだが、毎月16日が映画の日だったことを忘れていた。満席の中での映画となった。 見に行く映画の半分以上を愚息は途中から寝てしまう。今回も危惧していたが不思
注文したキーボードが届いた。サイズが一回り大きくなり、スペースは取るが、この方が打ち込みは楽である。 年末になると、非常勤の仕事とは言え忙しくなる。キーボードのなかった時期の仕事がずれ込み、なおかつ配愚う者、愚息と連続して風邪でダウン中。
キーボードが壊れたようで、いくつかのアルファベットが打てない。現在、画面に表示されるキーボードを利用して、マウスでアルファベットを拾いながら、この文章を書いている。時間のかかりようが違う。先ほど注文した新しいキーボードが早く来てくれるのを、