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2015年01月10日15:18

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気儘徒然句鑑賞六

  水温む音のみ聞いてゐるテレビ(岡田由希)

 句集「犬の眉」より。
 ラジオと異なり、テレビの映像を眺める行為は人を怠惰にしてしまう。冬は特にそれがひどくなる。だが、寒気が緩めばそろそろと色んなことが気になり出す。気になり出せば、人は動き始める。耳だけをテレビに残したまま、目も足も腕も、それを支配している脳の活動もテレビを離れて動き出す。台所の水も、温水でなくともそろそろ大丈夫か。

 日常生活から五七五七をすくい上げる感度の良いセンサーは外界の変化だけでなく、外界の変化によってもたらされる内界の変化までもを敏感にキャッチする。

自動ドアひらくたび散る熱帯魚
そら豆や楽しく終はるずる休み
しぐるるやピアスするとき首傾げ
青鮫の来るほどシンク磨きけり

 どの句も五七五に定着したときに、のっぺらぼうであるはずの日常生活に節目が入る。入ることによって、生活自体が生き生きとしてくる。

 「貝がらと海の音」(庄野 潤三) という本を読んだときに、日常生活に起こるいやなことを一切排除して書き進める姿勢に驚嘆したことがあった。おそらく、凶事さえもささやかな吉事を書くバネとして利用していたのだろう。「犬の眉」がそこまで徹底しているとは言わないが、姿勢としては似ているところがある。
 こうした姿勢の陥穽は、中途半端なところで吉事に変化させようとする安易さが時折生じる点だろう。上掲のそら豆の「楽しく」や

   緑さす湖岸ほどよく遠くあり

の、「ほどよく」などに多少現れている。
 しかし、瑕瑾をもって全体を否定するほどのこともない。言葉という魔法の杖を持った作者は、今後も佳句を量産し続けるだろう。

映画村あちこちめくりかたつむり

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