帽子屋はギリシャ上空まで飛んだ(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。どことなく、 旅客機閉す秋風のアラブ服が最後(飯島晴子)を彷彿とさせるものを感じるが、多分評者の気の迷いだろう。まして、「不思議の国のアリス」の帽子屋
面積はおかしい×おもしろい(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 ×を「かける」と読んで、きちんと五七五におさまるところ、「お…し…い」の韻。そして数学公式の茶化しと、手が込んでいる。手が込んでいるにもかかわらず、即席で
筒井祥文句集の鑑賞前半を月刊メランジュに送った。その際に、前文を付けた。以下にそれを記す。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 現在、とあるSNSにて「気儘徒然句鑑賞」と題する短詩形定型詩の鑑賞文を
沖に舟あれどラッキョに義理はない(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 舟がなくても、ラッキョに義理は生じないはずだ。辣韮ではなく、ラッキョであるところにも言い切りの爽快さがある。 「沖に舟」は数々の物語に彩られてきた。
広辞苑よりも分厚い野次が飛ぶ(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 野次を飛ばされた方は全く登場しない。野次とはそういうものなのだ。そんなに教養のある野次はあるのだろうか。という気もするが、知識の集成としての広辞苑ではな
遺書の例文おもむろに笑い出す(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。途中、 無い袖を入れた金庫がここにあるを挟む。最初、二三句の鑑賞で済ませるつもりでピックアップしたため、すでに鑑賞済み。その時にこちらを取り上げても良か
何をおっしゃる別腹がございます(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。落語の一節から抜け出たような句。元になった話があるわけでもないだろうが、「まんじゅうこわい」の後日譚にもなりそうだ。 尊敬語とか丁寧語とか、日本語のジャ
ならひょいと栞がてらの旅にでも(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 上五の「なら」は、助動詞「だ」の仮定形、と検索結果をそのまま写す。数学の命題では、「A=B」なら「B=C」が成立する、というような形でよく使う。 ともあれ
あり余る時間が亀を亀にした(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。句集の前半「座る祥文」は、生前発行のセレクション柳人からの抜粋。後半「立つ祥文」は、それ以後の未発表作になる。上挙の句から後半に入る。 以前出てきた自転車の
どうしても椅子が足りないのだ諸君(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。少し前に話題になった、 ヒヤシンスしあわせがどうしても要る(福田若之)とは、同じ「どうしても」でもえらく違うなというのが一読しての印象。短詩形には珍
人魂が今銀行へ入ったが(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。人はそれぞれ魂を持っているはずなので、銀行に入る人を人魂と呼んでもおかしくない。 にもかかわらず、白昼にふわりと浮かぶ火の玉をどうしても脳裏に浮かべるだろう。嫌
四時頃のうどんののらりくらりかな(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。この句は、どうしても落語を思い出す。下げの前で、どじな主人公が一文浮かそうと、うどん屋のあるじに時刻を聞く。その答えが「四つ」。それを踏まえているのだ
ご公儀へ一万匹の鱏連れて(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 ご公儀と言うような言葉がすんなり出てくるところが、京都生まれである祥文の出自を表している。さらに一万の鱏を連れて行くところ、ある種のプロテストを
鳥の声 水は力を抜いている(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。一句後にも水の句がある。 祭から引く水 旅の口笛に さてどちらを選べば良いかと迷うところではあるが、情緒に凭れ加減の祭の句を避けて、鳥の声を選んだ。とは言
短歌的呪文で滝を歩かせる(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。かつて短歌は奴隷の韻律と呼ばれ、その情緒を「短歌的叙情」として非難された。ということを知った上での「短歌的呪文」ではないかと思う。そうした議論を伴う用語を、素
カッポレをちょいと地雷をよけながら(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。 カッポレがなぜ片仮名なのか?漢字で書くと、活惚れになるそうだ。多分、意識的か無意識かは解らないが、平仮名や漢字で書いた時に生じる情緒を排除するため
自転車で来たので自転車で帰る(筒井祥文) 筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。当たり前すぎる句ではある。この手の手法で有名なのは、 次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く(奥村晃作)であろうか。当たり前の景が、いとも奇妙