舞ふブロンドの髪のサラダよ星条旗 「鳥子」の最終章「あなめりか」の最後の一句前。髪のサラダが秀逸。典礼や女神の靴も秋の下 「鳥子」の最終句。自由の女神像だろう。
金曜の神父の前のぶだう後口 「鳥子」の最終章は、「あなめりか」。皇国前衛歌が過去の日本の肖像画であれば、その日本を占領した国に対する印象を綴ったのが最終章と言える。とすると、週休二日となった後の金曜日ではなく、土曜午前中が仕事であった頃の
花あやめくぐもり咲きてなほ咲きぬ野守濡れひらかぬ唇となりにけりおぼろなる夜の鈴の無を唇に閉づ 「鳥子」より。連続した三句を拾い出してみた。唇は、どちらの句にも「くち」とルビが振られている。どの句も、ほのかなエロスを感じさせるが、エロスより
夭折や若髪みどり孕み鳥 「鳥子」より。上五を切れ字で締めて、後を同一音の連鎖で流して行く彼特有の作句法。流す内に夭折から誕生前に遡り、時間逆転の魔法が完成する。
古羅馬の玉座に何の寒卵 「鳥子」より。 古代ローマ文明を古羅馬と書くことがあるらしい。過去の絶大な権力の象徴と不釣り合いな寒卵。ローマにも冬は来るだろうが、寒のイメージはミスマッチとも取れる。すぐに転がり落ちそうだ。 ユーモアか、あるいは
天つ風天つ亜細亜をアカシアに 「鳥子」より。皇国前衛歌五十句中最後の一句。 ア音の連続が、意味をはぐらしながらのアジアを亜細亜と書いた時の気分を伝える。 アカシアは大連で広く植栽されていたことから、句を締めるにふさわしい言葉だろう。北原白
蜿蜒と炎々と蟻只今旅順 「鳥子」より。皇国前衛歌五十句中の一句。 旅順と言われると第二次世界大戦よりも日露戦争が思い浮かぶが、軍港としての価値は時代を違えても変わらない。蜿蜒が道の曲がりくねったことの形容であることから、海路を経ての旅順到
霧去りて万歳の手の不明かな 「鳥子」より。皇国前衛歌五十句中の一句。鶴彬の 万歳とあげて行った手を大陸へおいて来たを思い出させる句。若干の言葉遊びを加える。 鶴彬の句での過剰な字余りの因は大陸にあるが、攝津の句では連作中に置くことによりそ
南国に死して御恩のみなみかぜ 「鳥子」より。皇国前衛歌五十句中の一句。連作中の作であるから、南国は太平洋戦争中のマレー、フィリピン方面を指すと考えてよいが、一句単独で見た場合に四国、鹿児島あたりを想起すると読みに多少の混乱を生じるだろう。