mixiユーザー(id:4601390)

2015年01月17日11:47

186 view

気儘徒然句鑑賞七


  刻まれて葱の時間の立ちのぼる(谷川すみれ)

 句集「草原の雲−不自由な言葉の自由−」より。
 当たり前の事ながらうっかりすることの一つに、我々は宇宙に包まれている、ということがある。
 日常生活の多くは、人と人との交渉に明け暮れ、たまの時間の省察もどうしても人間社会が前提になる。したがって、どこにも自身が寄って立つ物理的存在である地球とか、太陽系、銀河、宇宙とかは出る幕がないように見える。
 社会をはみ出した巨大な対象を相手にしようとするとき、外界を対象とする視覚よりも鈍重な感覚、聴覚・嗅覚や触感を通しておぼろげに感知する身体内部から迫る方が、かえって巨大な存在に通じる回路を確保している。
 そうした感覚を端的に表す言葉として近年多用されるようになったのが「地球」という言葉であるが、地球はあくまで地球であって、言葉の届く射程距離には限界がある。その点、「時間」という言葉は内在感があり、射程距離に限界がない分、うまくゆけば巨大な対象により近づくことが出来る。
 上掲の句からは、まな板から発せられる小刻みな音とともに刺激される嗅覚が、さらに手の運動を加速してゆくさまが想像される。規則正しく、進行される包丁の動きは時計の連想を引き出す。
 時の進行は無限に見えながら、葱の終端に至れば遮断される。つかの間ながら、一瞬が無限に思えるひとときを内蔵する日常生活を、作者とともに愛惜せずにはおれなくなる読者も多いだろう。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する