昨日はメランジュの例会。いつもの詩作を中断して、詩集「あけやらぬみずのゆめ」(福田知子)の書評を提出した。詩作は毎回メール配信されるが、散文は紙の上だけの登場となる。しばらく詩と散文を交互に出すつもり。自作の詩を出さずに他人の詩をあれこれ
フェースブックで、とある人を承認したら、その人を介する形で、たった一日に20人以上の友達申請が押し寄せてきた。言語も様々。アラビア文字は画面ではこんな風になるのかと感心もしたが、とにかく対応しきれない。 申し訳ないが、元になった人ともども解
ガラケーを十年近く使ってきたが、液晶画面に罅が入った状態となり、今日新しい携帯電話と交換に踏み切る。いわゆるスマートフォンだ。ついでに、家族三人全員のガラケーを取り換える。 愚息は、えらく張り切っている。よほど、欲しかったのだろう。声が弾
長らくほったらかしにしていた、「日本人とリズム感」(樋口桂子)を読み終えた。 一言でいうと、エピソード満載でそれが論証に結びつかない。したがって、話のタネとしてエピソードを拾う分には良いが、真に受けるととんでもないことになる。要するにトン
ガム買って五月五日の朝帰り( 岡村知昭) 一読、さてどんな朝帰りかといろいろと想像してしまう。 想像しやすいのは、古典的な情緒に彩られた後朝(きぬぎぬ)からの連想。口内をひとまずリフレッシュするためにガムでも買うところか。 足駄はかせぬ雨
句会に出した最近作に、「にんべんのくるまきらきら五月来る」がある。最近の京都では、それほど珍しくもない風景だろう。 人力車の句というと、思い出すのが、 岸釣に小さんの俥とほりけり (久保田万太郎) テレビ番組「笑点」の初代司会、立川談
買ったばかりの中古コンピューターには、ハードディスクのチェック等、時間のかかる作業が多い。並行して別作業をしてもよいのだろうが、なんとなくコンピューターの前で手をこまねいている状態が続く。結局、文庫本でも読んでいることになる。 そうした状
電脳に続き、眼鏡が壊れた。老眼の近眼なので、読み書きは不自由しないが、モニターを見るのが少々つらい。とは言っても、コンピューターを買い替えたところなので、メール設定等やるべきことが多くある。 モニターが見づらい中、メール設定をやっている際