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2006年01月11日01:29

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戦艦大和と徳之島

映画「男たちの大和」が公開されていますが、戦艦大和と言えば思い出す話があります。3年ほど前、ある航空関係者が亡くなられ、その方への弔辞の中に以下のような件がありました。

「先の大戦末期、軍が戦艦大和による沖縄特攻を実施しようとしていたとき、沖縄の手前にある徳之島に作成遂行上必要となる無線機が無いという問題が発生したそうです。そのため操縦将校だったWさんは、敵制空圏下の徳之島に九七式重爆撃機で無線機を輸送するという任務を命じられたそうです。その時にWさんは、『日本は、この戦争に負ける。負けた後に平和な空がやってくる。自分は必ず生きて還ってきて、その平和な空を飛びたい』と決意されて徳之島へと飛ばれたとのことでした。」

当時の徳之島での戦況について余り詳しくは知らないのですが、陸軍の部隊と飛行場があり、一式戦闘機や九九襲撃機などで散発的に沖縄方面に「特攻」をしていたようです。
W氏は大戦を生き残り、GHQによる航空禁止が解除されたのち民間航空団体に就職されました。そして操縦教官として後進の育成に当たられるだけでなく、各種航空関係団体のリーダーとして、日本のスポーツ航空の振興にご尽力をされました。

W氏の棺には、ご遺体とともに銀色の2翅プロペラが納められており、私たちは氏が生前愛唱されていた「航空兵の歌」を斉唱して棺を見送りました。

私はW氏から直接に習ったわけではないですが、たとえば次のような氏の教えは、先輩を通じて叩き込まれました。

「最初の失敗は、最後の失敗である。」「空の勇者は、最大の臆病者であれ。」「空を飛ぶだけでなく、海も山も、自然界は神の世界であり、失敗は許されず、七転八起などという人間社会の常識は一切通用しない非常な世界であると心がけるべきである。」

パイロットの世界に「甘い世界」などないとは想っていますが、それでも私のような戦後育ちの自家用操縦士からしてみると、戦時を経験された諸先輩の言葉には、独特の気迫を感じざるを得ません。合掌。
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