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2007年03月06日00:33

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すずかけ通り三丁目

「あのあたりは、ひばりがきてなくほど、しずかなところでしたよ。でも、……、昭和二十年の春から、“空襲”がはじまりました。
七月の“大空襲”のとき、三十機のB29が、町の空をとびまわり、しょうい弾をつぎつぎにおとしました。あちらもこちらも火事になり、町は、もう火の海でした。
三さいだったふたりのむすこを、わたしは、ひとりをせおい、ひとりはだいて……ええ、ふた子だったのですよ……にげまわりました。……やっと、りんどう公園にたどりついたとき、せなかのこどもも、だいていたこどもも……」
お客はしばらくだまってから、いいました。
「死んでいたのです。」

あまんきみこ『車のいろは空のいろ―白いぼうし』
(ポプラポケット文庫2005年)所収「すすかけ通り三丁目」より

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『車のいろは空の色』の初版の刊行は1968年のこと。30年以上にわたって売れ続けた「童話集」だ。ポプラ文庫を経て、昨年、ポプラポケット文庫にも収録された(3分冊)。「わが国を代表する戦後児童文学の傑作」とも呼ばれている。
昨日の日記で引用させていただいた西本鶏介氏が、この本の「解説」の中で面白いことを書いている。氏は、昨今のファンタジー・ブームに関連して、トールキン、エンデ(『モモ』)、ローリング(「ハリー・ポッター」シリーズ)などに対する世間での評判について触れながら次のように言う。

「しかし、いかに本格的なファンタジーであっても日本の風土から生まれた作品ではありません。魔法のすばらしさや複雑な社会を生きる哲学は教えてくれても日本人ならではの自然観とはほど遠く、繊細であたたかな美意識が不足しています。合理的なヒューマニズムにあふれていても名もなき生き物や草木に寄せる人情の機微が描かれていません。」

そして、昨日引用したように、宮澤賢治とあまんきみこの共通点から、日本的なファンタジーの独特な魅力について語る。

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読まれたことのある方も多いだろうし、西本氏の言葉からも分かるように、『車のいろは空のいろ』には多くの動物が出てきて、心がなごむようなお話が続く。「人間」に対する風刺的な描写があったとしても、物語としては「ほのぼの」とした感触を残している。

引用した「すずかけ通り三丁目」は、そんな『車のいろは空のいろ』の中では異色の一篇かも知れない。母親が、死んだ子供たちに時間を超えて会いに行くというストーリーは、たしかにファンタジーの仕立てではある。そして、物語の結末そのものが悲劇的というわけではない。しかし、この一篇には、ほのぼのとした感触も、心をなごませるものもない。
読後に残るのは、静かな悲しみだ。

あまんきみこは、なぜ、この一篇を『車のいろは空のいろ』に加えたのだろうか。

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日本と同じく都市における空襲にさらされたドイツでは、空襲の死傷者について検死などの綿密な調査がおこなわれたそうだ。「その結果、一酸化炭素中毒による死者の多かったことが、確認されているといわれている」と早乙女勝元の『東京大空襲』(岩波新書・1971年)は記している。「すずかけ通り三丁目」の二人の子供も、死因は一酸化炭素中毒であったかも知れない。
こんなところで二人の子供の死因について詮索することは、全く野暮なことだと思われるかも知れない。しかし、このことは、自身も東京大空襲の被災者である早乙女氏の次の言葉との関連で気になったので、あえて記してみた。

「政府は皇居の安泰にばかり目をむけ、『其の他』一〇万人からの三月一〇日の犠牲者が、一体どのような死因で死亡したかについて、なんの調査もしなかった。殉難者の死因についての資料はない。勝手に死んだのだからしかたないといわんばかりに、ただ一つの死体についての検視のあともなかった事実は、米国戦略爆撃調査団報告に、くりかえし記録されているところである。」

なお、谷山浩子が、『車のいろは空のいろ』から題材をとって何曲かの歌を作っており、その中に「すずかけ通り三丁目」という曲もある。

<谷山浩子>
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