mixiユーザー(id:2312860)

2017年07月17日19:48

974 view

つみおかすべき-中将の君(1)

「幻」の帖の中の26首の中で、以下の2首だけは趣が異なる。

10:さもこそはよるべの水に水草ゐめけふのかざしよ名さへ忘るる(中将の君)
11:大方は思ひすててし世なれどもあふひは猶やつみおかすべき(光る源氏)

中将の君が源氏に贈った歌を谷崎潤一郎は次のように訳し解説している。(*1)

「そんな風に、私に対する愛情もなくなっておしまいになされたとしても、今日の人々が挿頭(かざし)にさす草の名、すなわち葵(逢ふ日)という言葉をさえお忘れになったとはあんまりではございませんか。「よるべの水」は、神前に誓うときに瓶に入れて供え、神がのりうつるのを酌んで用いる水であるというが、祭の日なので、神社にゆかりのある語を持って来、また「よるべ」という語に、自分が頼って生きている源氏をなぞらえたのであろう。「よるべの水に水草がいる」とは源氏の愛情がなくなったことにたとえたのである。」

これに対する源氏の答歌はどうか。

「大方は思ひすててし世」というところは、谷崎訳では次のようになっている。

「女のことなど、もう大概はあきらめてしまっている境涯ではある」

しかし、「なれども」という逆接続詞に続く後半は、次のように訳されている。

「けれども、そなたに逢う日は今もなお罪を犯しそうな気がする。」

つまり、この帖の他の場面では封印されている源氏の「色好み」の性格が、この中将の君との贈答の中だけに現れているのだ。

「あふひは猶やつみおかすべき」

というのは、なかなか意味深な言葉だ。
表面的には、「葵を摘む」ということだが、「逢う日は罪を犯してしそう」だとも読める。
どんな罪か。玉上は「女犯の罪」だと言う。玉上は評釈の中で、次のように説明する。(*2)

「女房は貞操から自由である」「中将の君は、源氏のお手つきである。女房は、主人から見ればも性欲の対象とはなっても、恋愛の対象とはならない。

しかし、この場面の源氏は、性欲の問題だけではない感じを与える。」

同じ歌について、ウェイリーの英訳からの重訳では、次のようになっている。(*3)

「この広い世の中で何も私を誘惑できるものはありえないと思っていた。だがなんと、葵は私の思いのなかにおさえきれない背信が潜んでいることを明かした」

源氏の身分では、侍女である中将の君を性欲の対象としても、罪にはならない。この場面では、妻であた紫の上の死の直後であるが、喪の関係からも、侍女との性的な関係は問題とならなかったのかもしれない。ただ、恋愛関係となると、喪との関係もあるかもしれず、いずれにしても「罪」あるいは「背信」の問題が出てくる。

ただ、そのことは、中将の君から見れば、どうだろうか。
永く疎遠であった主人から、今までとは違う情愛を感じたとすれば、その身分にかかわらず、女としては嬉しいのではないか。
玉上は「ここに、当時の読者は、源氏の人間性を見る。」とも書いている。やがて出家すれば、女房が相手であっても「不邪淫となる」ことを玉上は指摘している。

文庫本では、この場面のあと数ページで「幻」の帖が終わり、本文の無い「雲隠」の帖になる。
つまり、源氏は出家し、その後に亡くなったことが暗示される。
こうして見ると、中将の君は、源氏の絢爛豪華な女性関係の中で「最後の女」ということになる。
源氏物語の登場人物としては、ほとんど注目されることもないこの「中将の君」との関係が「最後」であったということは、何かを暗示しているのだろうか。それとも、そんなことを考えるのは、深読みのし過ぎだろうか。

最後に、この贈答の林望訳を引用しておく。(*4)


「なるほど、もう久しく君の寄(よ)ることもないこちらでは、こうして神が憑(よ)るという瓶(へい)の水も
すっかり古くなって、今は水草が一面に生えてしまいました。こんなことでは、
今日の挿頭の葵……逢ふ日の草という名さえ、お忘れになってしまいましたはず」

「おしなべてこの現世のことはもう思い捨ててしまった私だが、
葵、逢ふ日の草ともなれば、やはりこの手に摘み犯すことになって、神前に罪犯すかもしれぬな」


*1:中公文庫『潤一郎訳 源氏物語 巻四』p.240〜242
*2:玉上琢也『源氏物語評釈 第九巻』(角川書店・1967年)p.155。
*3:佐複秀樹日本語訳『ウェイリー版源氏物語3』(平凡社ライブラリー・2009年)p.434
*4:林望『謹訳 源氏物語 七』p.351


■幻の帖の和歌(2017年07月15日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961544629&owner_id=2312860
■源氏物語における七夕(2017年07月14日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961526029&owner_id=2312860

■源氏物語に関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=2312860&id=1859548426
■和歌・歌集・歌人に関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1927370303&owner_id=2312860

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する