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2016年07月07日21:37

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伊勢物語「彦星」(第95段)

「むかし、二条の后につかうまつるをとこありけり。女の仕うまつるを常に見かはして、よばひわたりけり。「いかで物越しに対面して、おぼつかなう思ひつめたること、すこしはるかさむ」といひければ、女、いとしのびて、物越しに(七月七日)逢ひにけり。物語などして、をとこ、

 彦星に恋はまさりぬ天の河へだつる関をいまはやめてよ

この歌にめでてあひにけり。」

大津有一校注『伊勢物語』(岩波文庫)p.64より
ただし、漢字の旧字体(舊字體)は新字体に修した。

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今日、伊勢物語の原文を旺文社の対訳古典シリーズ版(中野幸一訳注)で読み終わった。
今日は7月7日と言っても新暦(太陽暦)だから、旧暦の「正しい」(伝統的)七夕ほどには気分が出ないけれど、世間では七夕と騒がれているので、『伊勢物語』の中の「彦星」の段(95)を改めて読んでみた。

岩波文庫版(底本:学習院大学蔵・三条西家旧蔵・伝定家筆本)には「七月七日」という文字はないが、「阿波国文庫本」に基づくというものに、この日付が加筆されていた。

■第九十五段(彦星)阿波国文庫本
http://teppou13.fc2web.com/hana/narihira/ise/old/awa/ise_o95_awa.html

「よばひわたりけり」は、旺文社版では「求婚し続つづけていた」とのこと。

「常に見かはして」(いつも顔を合わせて)いたにもかかわらず、いざ「対面」するとなると簾か几帳などの「物越し」でしか会わないというあたりが、この時代の作法だったのだろう。

でも、素敵な歌を詠われてしまって、ついに女は「あう」ことを許す。

この「あひにけり」の訳には、次のようなバリエーションがある。

「親しく男にあったということだ」阿部俊子(講談社学術文庫)
「男と契ったのだった」石田穣二(角川ソフィア文庫)
「契りを結んだ」中野幸一(旺文社対訳古典シリーズ)

阿部訳は、やや婉曲すぎるか。まぁ、ここは「身体を(あるいは「心を」)許した」ということでよいのだろう。

 彦星に恋はまさりぬ天の河へだつる関をいまはやめてよ

この歌に、身体を許すほどの魅力を感じられるかどうか。
それとも、「歌にめでて」というのは単なる言い訳に過ぎず、女の側にも契りに至る何かがあったのか。七夕という状況が、心を許す契機となったのか。

そうした細かいことは、この物語には書かれていない。
そうしたことは読者のイマジネーションにゆだねているのだろう。そうしたところ(書き足りなさ)が、『伊勢物語』が今に読み継がれる魅力なのかも知れない。

■伊勢物語のグズグズ感(2009年11月09日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1333414041&owner_id=2312860

■日本古典文学に関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1878532589&owner_id=2312860

■伊勢物語(第九十段)原文・現代語訳
http://blog.zaq.ne.jp/nandemo-circle/article/4810/
http://teppou13.fc2web.com/hana/narihira/ise/now/awa/ise_ns95_awa.html
http://fusau.com/ise-tales095/
http://blog.livedoor.jp/ise1578/archives/10722827.html

■伝統的七夕
http://www.nao.ac.jp/faq/a0310.html

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