『たのしい知識』(Le Gai Savoir:1967)
プラトンの洞窟には響かない”生の声”なのだろうか。エスタブリッシュシークエンスの暗い空間、その度々あらわされるそのグリッドに、映画的時間が堆積されるとき、ハリウッド的なものではないもの、例えばギドゥボールなものであっても、個の内部には観念が必ずや生まれ顕れるのかなと思いながら、ダイレクトシネマとはなにか、なぞと考えたりしてしまう。そんなこんなだが、音の重要性を語るとこあるけど、このテクストでソニマージュはゴダールのなかでは以前よりもはっきりと打ち出されてきているのかとも思った。『中国女』より実践の触覚であり、そうしたセンスは『万事快調』でさらに強度になるけれど、その過程を考えるとき、このテクスト面白く思える。触覚とはなにか。政治とはなにか。
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