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2008年11月07日01:18

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賢治の詩と死

健さんの訃報のショックはまだ尾を引いている。
「陽炎2」のレビューも、二本見た映画の感想も、
横浜能楽堂での落語・講談・狂言のコラボの感想も、皆書きかけのまま。
きちんとした形にならないと、ひとには見せられないから。

亡くなられたという11月1日は、土曜休みと映画の日が重なっていたから、
私は見たかった映画を二本はしごしていた。
ずいぶん出遅れてしまったけれど評判の『おくりびと』と、
この日が初日だった大林監督の『その日のまえに』。
期待通り両方とも良かったけれど、
思えばこれは、両方とも旅立つひとを見送る映画。
泣くに決まってる。
私にとって、母の死はまだ生々しい。
誰に頼まれたわけではないけれど、母の死化粧をしたのは私だ。
いろんな感情が迫ってきて、ゆりうごかされた。

『その日のまえに』は原作未読で、ほとんど予備知識なしに見たのだが、
『おくりびと』との共通項が、あれこれあったのに驚かされた。
こちらは、余命一年を宣告された妻と、それを見守る夫の話。
夫婦の間には息子も二人いるのだが、その兄弟が
「健(けん)」「大(だい)」と呼ばれているのも、偶然ながらびっくり。
そこに過去の話やファンタジックなイメージがからまる。
ことに宮沢賢治の世界観が色濃い。
妻の実家が岩手で、その父親は宮沢賢治のファンで、
その影響で娘に「とし子」(この名は映画のオリジナル)と名付けたのだし、
劇中『永訣の朝』にメロディーをつけた曲が、繰り返し歌われて、
見終わったあともずっと心に残る。
しかも、その曲はチェロの伴奏で歌われる。
まぎれもなく『セロ弾きのゴーシュ』。

『おくりびと』の舞台は山形だけれど、やはり北の自然に抱かれて、
主人公が野外でチェロを弾く場面は、ゴーシュを連想させられる。
おまけに、両作品ともに峰岸徹さんと山田辰夫さんが出演している。
峰岸さんは、先頃本当にあちら側に旅立たれてしまった。
もうこの世にいない方が、まざまざとスクリーンに映しだされていると、
本当にその境目が分からなくなってしまう。

「けふのうちに/遠くへいつてしまうわたくしのいもうとよ」
と歌いかけられる『永訣の朝』は、妹とし子への哀切な鎮魂歌。
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)=雨雪(みぞれ)をとってきて、賢治さん
と言うとし子のため、陶椀をかかげて雪のなかに立ち尽くす賢治。
「おまえがたべるこのふたわんのゆきに
 わたくしはいまこころからいのる
 どうかこれが兜卒(とそつ)の天の食に変わつて
 やがてはおまえとみんなとに
 聖(きよ)い資糧をもたらすことを
 わたくしのすべてのさいわいをかけてねがふ」
映画はそのイメージを繰り返し描く。
電車の場面は『銀河鉄道の夜』をも思わせる。
取り残される夫は、カムパネルラを見失ったジョバンニなのだろうか。

賢治の詩は、何度読んでも不思議な深みがあって、
大切に思うもののひとつだけれど、
『眼にて言ふ』という遺稿は鮮烈だ。
これを初めて目にしたのは、坂口安吾著『堕落論』所収の
「教祖の文学」のなかの引用だった。
凄絶ながら一種清々しい、今死にゆくひとのうた。

「眼にて言ふ」

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの嫩芽(わかめ)と毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがつて湧くやうに
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずいぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとおつた風ばかりです
 「春と修羅 第四章」「疾中」より

この最後がとても好きだ。他人からみたら血まみれの惨憺たる状況でも、
自分から見えるのは、綺麗な青空と透き通った風ばかりなのだ。
そう思うと、何か胸がすうっとする気がする。
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