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2008年11月03日18:12

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茨城ロケ地めぐり

11月2日は茨城の磐音ロケ地めぐりに行ってきた。
企画者は何かとお世話になるKさん。
車で案内してくださったのは、つくば方面にお住まいのNさん。
参加者は私を含めて5人。いずれも熱心な磐音ワープロケ見学者同士。
晴れた空のもと、風もなく暑からず寒からず、本当に楽しい小旅行だった。

<板橋不動尊>
10時半すぎに集合し、Nさんの車に乗せていただいて、
まずは板橋不動尊へ。
http://www.city.tsukubamirai.lg.jp/bunka/13.htm
ワープステーションには、いつもつくばエクスプレスのみらい平駅から
コミュニティバスかタクシーで向かうのだが、その道の途中に見える、
いかにも古色蒼然とした板橋不動尊のことは気になっていた。
ワープにもっと近いなら、帰りにでも寄りたいところだが、
いささか離れすぎていて、ロケ見学目当てで行く時には
寄る余裕がまったくなかったのだ。
茨城県指定重要文化財に指定されているという建物は、
近々と見ると本当に立派で、堂々たる存在感。
朱塗りの色の褪せ方がなんとも良い。青空に映えて綺麗。
関東三大不動尊のひとつだと言う。境内は七五三のお参りで賑わっていた。

道に面した入母屋作りの立派な楼門は元禄年間(1688〜1703)建立。
楼門から正面に見える大本堂は元文二年(1737)建立の二重屋根。
極彩色の彫刻がほどこされた、右手前の三重塔は安永元年(1772)建立。
「三重塔は安永だからちょうど磐音の居た時代だね。
 楼門は綱吉、本堂は吉宗、塔は家治の時代だって覚えたら分かりやすいよ」
と、歴史に強いKさんのレクチャー。

楼門の内側の左右にはには安産祈願のお守りの、大きな白犬像が控えていて、
「生類哀れみの令」でお犬様の時代を作り出した、
五代将軍・綱吉に結び付けて考えると、まさにぴったりだ。
本堂回りの欄干の柱に寄進者の名前が刻んであって、
そこに「武左エ門」とあったのを見つけた時には嬉しかった。
なんだか物語の中の人物が、本当にその時代を生きていたみたい。

三重塔は細工が華やかで素敵。
去年の『陽炎の辻』第1シリーズの第一回、磐音の妹の伊代の回想で、
舞と奈緒と三人で、墓参りのあと料理茶屋に寄って楽しむ場面に
出てきたのはここだとのこと。なるほど絵になるなあ。
回りには桜の木もあり、花の季節にはさぞやと思わせる。

さらに境内を歩き、本堂の向かって右脇、石碑やお地蔵様が並ぶあたりから
塔のあたりを眺めると、「ここは見覚えがある!」とKさんが言い出した。
今年の第2シリーズ第二回「姉妹」では、お香奈お佐紀と顔合わせをする前、
お艶の供養のためやってきた由蔵と磐音が、
鎌倉建長寺の境内を歩く場面があるが、実際の建長寺は門が写ったのみ。
中はどうもここらしい。一同そんな気はするものの、確信は持てず。
(あとで見直したところ、どうもそうらしい)
良い感じの境内だし、アングルを工夫して色々使われたのかもしれない。

<ワープステーション>
向かう道筋に適当な店もないとのことで、
とりあえず通いなれたワープステーションへ。
入場料を払い、無料休憩所で持参の昼食を食べながらおしゃべりしていると、
またすぐにでもそこらで撮影が始まるような気がするけれど、
もう磐音の撮影はシリーズ2もお正月スペシャルもすべて終了している。
でも窓の外を、地味な灰色の中国服を着たひとたちが歩いていったので、
本日も撮影はある模様。

あとでお太鼓橋のほうをのぞいてみると、水には舟が浮んでいて、
さきほどのひとたちが乗っていた。
親子連れという感じだが、立ち上がって子どもの胸倉をつかむひともいる。
はげしい台詞のやりとりも聞こえたけれど、中国語なので内容は分からない。
廻船問屋や江戸の店などは囲って見えないようにしていたけれど、
こういう扮装のひとたちが乗っているだけで、舟周辺が中国の水路に見え、
柳も中国の柳のように思えるから不思議なものだ。
あとでちょっと聞いたら、NHKの土曜ドラマの撮影だとか。
『大地の子』のような感じの話らしい。

最近やっと公式HPでも発表があったけれど、
山本耕史くんも出演する日韓合作映画『彼岸島』の撮影の一部は、
先日このワープ内オープセットゾーンの宿場町通りを、
古びた昭和の町のように作りこんで行われたらしい。
夜間撮影は見学者など入れないので様子は知れないが、
せめてそのあとがどうなっているか見たくて、皆で通りへ。
昭和の街並みはもう崩され、いつもの江戸に戻っていたけれど、
道のあちこちに血のりのあとがあって生々しい。
ここであの端正な磐音の姿で道中していたかと思えば、
同じ場所がうらさびれた彼岸島の村にもなって、恐ろしい仕業もしてのける、
映像の虚構と役者という仕事の不思議をつくづく思う。

<坂野家竹林>
ここは今回の目玉で、とてもとても楽しみにしていた。
ここの住宅の庭続きの竹林こそ、第六回「闇討ち」での、
尾口三兄弟と磐音の、おそろしいほどうつくしい殺陣が撮影された場所。
住宅のほうは水海道風土博物館ということで、国指定重要文化財。
最寄とされる水海道駅からも、車を使わなければだいぶ距離があるようだから、
こんなふうに連れてきていただくのは願ってもない機会。

車は途中、小貝川を渡り、鬼怒川を越える。
小貝川沿いでも、去年の第1シリーズでの、
幸吉くんのうなぎ取り場面などが撮影されたとか。
行けども行けども、広々と昔ながらの風景が広がり、
川面には草木が生い茂って、緑の島のよう。

坂野家はたいへんな豪農とのことだが、その屋敷に向かう手前に
梅林や、竹林や庭園がある。竹林を目にした一同、大興奮。
なにしろ先日の放映の映像が目に焼きついてるのだから。
わくわくして斜面を走り、尾口を真似て竹の葉を撒き、写真を撮りまくった。
(なんてミーハーな・笑)
斜面を走りながらの殺陣は、軽々とやっているように見えるけれど、
実際に傾斜の上で動くのは、相当タイミングを合わせないと大変だと
自分で動いてみて実感。

光と影のコントラストは本当にうつくしく、
皆そちこち位置を変えつつ撮影し続ける。いつまでも終わらない。
竹をバックに皆で揃って記念写真まで撮ってしまった。
この竹林は、第1シリーズでも、由蔵さんと磐音の歩きなど、
何回か出てきているとのこと。
私の実家にも裏に竹林があったので、小さい頃そこで遊んでいた
記憶なども甦ってきた。本当にしーんとした別世界。

<坂野家住宅>
http://www.city.joso.lg.jp/joso/www/00498.html
竹林でさんざん時間をくってしまったが、こちらも素晴らしかった。
表門である薬医門まで、少し傾斜をのぼる。
門も主屋も綺麗な茅葺きで、なんとも清々しい。
入館料を払う受付には、この庭で撮影された黒羽織袴姿の
磐音の写真パネルがあって、一同また舞い上がる。
あがり口の土間はたいそう広く、竈(かまど)もたくさん。
見上げれば天井の梁も太くて、本当に立派なもの。

上がると囲炉裏のある板の間や座敷があって、広々している。
「一の間」「二の間」「三の間」など、部屋数も多い。
ロケ撮影の記念寄せ書きやパネルも一室に展示してあった。
なつかしい『新選組!』のものもある。
勇のお兄さんの家などにも使われたのかしら。

『陽炎』関係は、去年のも今年のも、何枚も撮影ショットがあった。
主家の玄関は幕府派遣のお役人が来た時だけ使われ、
普段は当主といえどもそちらは使わなかったというが、
なんとなく、日野本陣の玄関にも似た風情。
去年の最終回「いつの日か」の大山参りの際、
倒れてしまったお艶さんが、吉右衛門にすがるように座り込んでいる
玄関先がここだと初めて知った。
そこでお艶さんごっこをしてしまったのは、言うまでもない。
奥のほうの座敷は、磐音が中居半蔵や別府伝之丈とともに楽しく飲んだ
料亭のように見えたのだが、どうだろう。
庭の感じ、間取りが同じようだった。

廊下でつながっている書院「月波楼」二階からの眺めも素晴らしい。
窓からさきほどの竹林の緑も見える。
欄間の透かし彫りやガラス障子、年を経た手すりなどの風格。
明治大正、昭和初期など、なつかしい時代のドラマがいくらでも撮影できそう。
着物姿で窓辺に寄れば、気分は女流作家である。

パネル写真を見て分かったのだが、竹林から門までの傾斜の道も、
朱塗りの灯りなど置いて、料亭からの帰り道の撮影に使われていた。
楽しく飲んだ後の夜の場面で、尾口ら数人に襲撃されるところ。
本当にどこをとっても絵になっている。すっかり堪能した。

<安楽寺>
http://www.ibarakiguide.jp/db_kanko/?detail&id=0800000000073
次なる安楽寺は、参道が長い。
その奥にある石段は、去年のシリーズで、関前藩に帰った磐音がのぼる
菩提寺の場面にも使われたとか。
車から降りて歩いていくと、とても静か。
両脇に大きな杉が立ち、まるで昔の街道を行くよう。
長いうえに高低もあって、振り返るとはるばると旅をしてきた心地。
脚絆に手甲、笠に合羽の旅装束のひとが居ても何の不思議もない。
とても遠くへ来た気がする。

見えてきた石段に見覚えがあった。
つい最近の第七回「親子」で、幸吉くんが寺に鰻の出前に来て、
釣り銭騙りの定九郎に騙される場面。
寺男に扮した定九郎が、満面の笑みで岡持ちを受け取るのは、
この石段下だ。
案内のNさんは、石段の手すりが金属だから
ちょっと違うと思っていたとのことだけれど、
よく見ると、そのうちの一部に割った竹をとりつけたあとがあった。
これで竹の手すりに見せていたらしい。手間隙かかってること。

石段をあがって門をくぐると、左手の櫓は
下の部分は黒で上の部分は朱塗りの古いもので、
まさに定九郎がその下に座り、
手づかみで鰻の蒲焼を食べていた場所だった。
こちら側から門を見ると、ちょうど待ちくたびれた幸吉くんが
石段をあがってくるのが見えるアングル。

静かな境内には、銀杏が山ほど落ちていて、Nさんは拾い始めた。
千手観音のような石仏がいっぱいあって、
その上に真っ赤に色づいたからすうりがぶら下がっている。
あたりには姿のよい楓も多く、紅葉したらそれは綺麗だろう。
石段を降りて、再び長い参道を歩いてゆく頃には、
ひかりはすっかり夕暮れのものとなった。

「みどりの」駅の近くのファミレスで楽しくおしゃべりした後、
その駅から帰途へ。

<茨城讃!>
茨城が何故こんなにロケに使われるのか、よく分かった。
大きなビルも邪魔な電信柱も見えず、昔のままの田園地帯が
ひろがっている景観は宝物だ。
この日回りきれなかった「あすなろの里」などにも、
今度機会があれば行ってみたい。
この園内には、『陽炎の辻』第一回の「一石橋」に使われた
緑いっぱいのなかの木橋があるらしい。
『新選組!』の最初の頃、お琴さんがらみで歳三がぼこぼこに殴られる
木の橋も、小貝川にかかる橋とのこと。見たいなあ。
ともあれ企画のKさん、案内・運転のNさんに感謝感謝!

*写真は安楽寺のからすうり、坂野家主屋玄関、坂野家竹林
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