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2007年01月07日11:45

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新春かるた会

きのうは冷たい雨だったけれど、
新春恒例の友人宅での百人一首。
これをやらないと正月が来た気がしない。
私は必ず着物を着て参加する。
今回は足元があまりに悪く、持参して友人宅で着替えた。
もうここまで来ると落語家と同じく私のユニフォームである。

友人宅は豊島区内の古い一軒屋で、
友人とお父様、お母様、息子さんともよく札を取る。
私自身も小さい時からお正月といえばやっていたので、
学校で教わるまでもなく自然に覚えてしまった。
年に一度だけでも数を重ねると次第にわかってくるものだ。
小さいながらも目の前の札くらいは取れるものだし、
参加するのは楽しかった。
息子にもそうやって手ほどきして、
最初は手加減しながら付き合って、
今では本気を出してもなかなかかなわない。口惜しい。
もっとも読み手は常に私だから、ハンディが大きいのだが。

子どもの頃は重なった言葉が覚えやすい。
「ながながし夜を」とか「かみのまにまに」とか、
響きだけで面白いからよく取った。
息子が一番に覚えたのは蝉丸の
「これやこのゆくも帰るもわかれては
知るもしらぬもあふ坂の関」だった。
多分、私もこれを真っ先に覚えたと記憶している。
この札は彼の持ち札となり、どんな時にも必ず取る。

それぞれ人には渡したくないというお気に入りの札があるもので、
母の場合にはそれは「心あてに折らばやをらん初霜の
おきまどわせるしらぎくの花」だった。
綺麗なうたで、母らしい。
今は私が母の代わりに、と思ってがんばって取る。
そのたびに母を思う。

私の今の持ち札は…何だろう。
「久かたの日かりのどけき春の日に
 しづ心なく花のちるらん」も綺麗だし、
「白露に風のふきしく秋の野は
 つらぬきとめぬ玉ぞちりける」も好きだな。
やはり絵になる歌、が好きなようだ。
でも子どものころにはまったく理解の外だった、
くるしい恋の思いを歌ったものなど今読むと
なんとよく言い当てていることか、驚き入るばかり。
人情の機微は少しも変わらない。

僧正遍昭の「天つ風雲のかよひ路ふきとぢよ
少女(をとめ)の姿しばしとゞめん」も人気札。
「天つ風 わっと手が出る 初がるた」というのは、
この友人宅のお母様が読まれた句だ。情景が目に浮かぶよう。
むすめふさほせ、の一字決まり札ばかりじゃなく、
分かりやすい札は大変な争奪戦になる。
そういえば「天津乙女」さんを初めとして、
宝塚の芸名は「霧立のぼる」さんなど、
百人一首をもととしていたような時代もありましたね。

「三笠の山にいでしつきかも」を探しながら、
「あー三笠山(←どら焼き)食べたいな」とか、
「百敷やふるきのきばのしのぶにも」と読みつつ、
「昔だとこれ聞くと、ももひき、を思い出してくすくす
 笑ったりしたのよね」とか、合いの手のおしゃべりが楽しい。

昔の百人一首のかるた会は、普段席を同じうしないような
若い男女の手が触れ合ったりするほのかなロマンスもあったとか。
近年映画化された三島由紀夫原作「春の雪」では、
崇徳院の「瀬をはやみ岩にせかるゝ瀧川の
われても末にあはんとぞ思ふ」が相聞歌のように
使われていたっけ。

今年も無事にかるた会が出来て嬉しかった。
来年もこのささやかな集いが出来ますように。




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