81年はの・ようなもの、ねらわれた学園、セーラー服と機関銃の年であり、83年は時をかける少女、家族ゲーム、ションベン・ライダーの年であり、85年はそれから、さびしんぼう、台風クラブの年であり、まだ素朴さが残る。も、86年はとんねるずがバブリーに暴れるそろばんずく、88年は高級マンションに幽霊がはびこる異人たちとの夏、90年は3Mのひとり、牧瀬里穂が悪徳プロダクションから喰いものにされた挙句クルクルとパラソルで宙を舞う東京上空いらっしゃいませである。バブルの季節である。
86年、JUST A HEROとBEAT EMOTION、そしてGORILLAである。
私は腰に手ぬぐいの下駄はいた感じなので、ボウイ派ではなくパーフェクトにブルーハーツ派であり、あまりボウイを聴いたことがなく、よってボウイもTMも、米米と久保田利伸と同じようにゴージャスな着物、バブリーの産物かと思っていたのだけれど、エイティーズのカルチャーで、忘れてはいけないもの、すなわち山本耀司と川久保玲の81年のパリコレデヴュー、Yohji YamamotoとComme des Garçons、そう、すなわちDCブランドの席巻、そしてBOØWYもTM NETWORKもその体現者でもあったのだな、となる。ボウイは一枚目は売れず会社を解雇され二枚目も売れず会社を解雇され、ツアーをするも、ギャランティは大量の野菜だけだったりと前途多難であったりするわけだけれど、精力的なライヴ活動で知名度はやがてうなぎ上り、TM も一枚目も二枚目も売れず解雇かという瀬戸際、マイレヴォリューションが売れに売れて首が繋がり三枚目の製作費もアップとなり、山下達郎と同じように、後にビッグになる者は常にジリ貧の瀬戸際を経験しているのだな、着飾るDCブランドでは分からないものがあるのだな、と悟る。
Yohji YamamotoとComme des Garçonsの影響力、なるほど引き籠りのマルタン・マルジェラ、外国人偏見のジョン・ガリアーノ、ととても日本人びいきに日本人に似ているところあるなを感じるのは、私だけだろうか。。
ギャルソンとヨウジヤマモトの衝撃〜1980年代〜
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/8482/
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