学問というものは効率の悪いものだと筆者は考えている。そして、効率の悪さこそが学問の楽しみなのだとも思うのだ。
豆からコーヒーを淹れるのは効率が悪い。どうせ味の違いが分かるほど繊細ではないのだから、粉からでいい。粉をどうするのか、サイフォンかドリップか。もっと効率を求めるならインスタントでいい。どこが違うというのか。雑に淹れたドリップコーヒーよりもインスタントコーヒーのほうが美味しいかもしれない。しかし、効率が悪いからこそコーヒーを淹れるという楽しみがあるのだ。
日本の教育は効率ばかり求めて学問をつまらなくしているように筆者には思えるのだ。学問にのめりこむというのはバカな行為なのだ。成績を上げるとか、資格を取るということになると、これは学問ではなく効率良く何かをすることになる。
エロも同じなのだ。文芸小説の中からエロシーンを探すことは効率が悪い。文学的な表現の中に登場人物のアブノーマル性癖を見つけようなどと考えるのは、どうしようもないほど効率が悪い。しかし、だからこそ、そうしたものを見つけるということが楽しいのではないだろうか。
旅行というのも効率が悪い。何時間もかけて温泉に行かなくても、近くにも温泉施設はあるはずなのだ。海まで行って魚を食べなくても近くの居酒屋にも美味しい魚はあるはずなのだ。景色を観ても、どうせ写真を撮るぐらいしか出来ないのだから、最初から写真を見ていればいいようなものなのだ。
スポーツはさらに効率が悪い。疲れるし、痛いし、面倒だし、成果は上がらないし、良いことは、ほとんどない。テレビゲームなら座ったまま、ほぼ、どのスポーツでも無敵になれるし、強者になれる。効率が良いのはテレビゲームなのだ。
今年の夏こそ天然かき氷の店に行きたいと思うのだが、効率が悪い。たかが氷なのだ。しかも安くないらしい。その上、車で三時間近くになるようだ。さらに悪いことに駐車場が少なく、そこでも料金を取られる。かき氷なので夏になるが、せっかく行っても並んで待つことになるらしい。そこまでしても、氷は氷なのだ。氷には味などないし、甘いシロップをかければ、それは、シロップなのだ。それでも、行ってみたいのだ。
さて、そこで、この上なく効率の悪かった話を書くというのはどうだろうか。性風俗の中に、高い料金を払って女の子が待機している部屋を探した上で、時間内にプレイするという店があった。二時間の内、一時間を探すのに使えばプレイ時間は一時間になるというわけなのだ。そんな効率を無視した性風俗の話。どうだろうか。
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