神仏を信じているのではありますが、今年の能登の地震の状況を見ると「髪も仏も無いものか・・・」と思ってしまいます。亡くなられた人や被災して苦しんでおられる方たちに何の罪があったのかと思ってしまいます。
普段の能登の風景の中には自然と神仏を感じられる穏やかな風が吹いていたのを知っています。しかしそれはあくまで人の勝手な思い込みだったのかとさえ思ってしまいます。
寸断された道路、いまだに復旧されない水道設備、こういう災害が起こると過疎地域は人口の流出が止まりません。一気に住民の方たちが減っていってしまいます。そこに神仏の加護は続くのかどうか・・・「知らんよ、そんなことは、されど我ら神仏はそこにおるのよ。」そう告げられているような気もします。
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