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2023年04月30日18:59

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高位教説

瞑想は、高位になるほど、
実はやりやすい。
慣れない始めの方が大変で、
中途でも、すぐ道を外れてしまう。
また、上位でも、悟ったと思い、しない。
悟りの体は、見ても見ず、聞いても聞かず、だ。
それは自我を辿り、自我の芯を抜いたからだ。
見ても見ず、これは無執着。
故に適切、故に正しい。
これは、生活においても。として、寿も正しい。
始めの頃は、とにかく習慣化する事だ。
夕方、必ず禅。そうでなくても、瞑想は必ずする。など。
一日一回する。あとは、仏を礼拝する習慣など。
中途では、色々な事ができてしまって、本道を疎かにしがちだ。
瞑想は必ずするにしても、テーマが、定まらない。
これには、解脱、涅槃滅度、真理の順に。
また自我を悟るを最上とする。
道は自我を辿る事である。高位でも、自我を辿って悟る。
だから、他の瞑想は、なくてもいいくらいで、自我を悟っていけば良い。
それには、振り返る事だ。
今日一日の自分を振り返る。
または昨日の瞑想を振り返る事だ。
その続きをすればいい。
上級者は、悟ったと思うものだ。
まぁ、それでいい。ただ、利他行を続けねばならない。
あとは悟っても座る。
生活習慣を保つ。
聖胎長養に入ればいい。
仏は、クンダリニーを完全に覚醒させ、
自我の根本を悟り、煩悩を滅尽し、三界に自由。
また、貪愛執着を断ち、教説に自在、
法の王である。
みなもこの道を行くなら、法王の子、法王子である。
精進を疎かにするなかれ。
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