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2022年06月30日16:21

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官能懐古、その2

 筆者は官能という言葉が好きだった。何だか五感の全てを研ぎ澄ませてエロに没頭するようなイメージがあったからだ。知り合いのエロ雑誌編集者は耽美という言葉が好きだった。美に耽るというほどエッチなことはないと彼は言っていた。もっともなことだ。
 日本語は何ともいやらしい。
 隠微でもなく淫靡でもなく、陰美と付けて女性器を表現した人がいた。それをさらに細かくして陰唇とすれば、隠すべき唇となる。花弁は普通の日本語なのに、女の中心部にある花弁と書けばいやらしい。さらに、陰核と言い、その奥には蜜壺があるのだ。蜜壺が女の中にあるのである。それらは組み合わせるからこそ、いやらしい。
 その昔は、ワイセツ用語というものがあり、それらは活字狩りされていた。その活字狩りに対抗するかのように、官能作家たちは、苦心を重ねてそれらの新しい表現に挑んだのである。
 実際にあったかどうかは知らないが、こんな話があった。
「その女は何とも妖艶なる蜜壺の持ち主だった」
 と、あるのを若い編集者が「蜜壺なんて出て来てなかったのに、どうして急に壺出したんですか、読者には分かりませんよ」と、言ったとか。
 エロ本の編集者は、ゆえに、それらの表現に詳しくなければならず、また、繊細である必要があったのだ。知らないは失格、通じないは恥だったのである。
 しかし「繁みを押し入ればそこにオアシスを見る」などと言われてしまうと、何だか色気を感じ損なったりもした。思えば聖水が女王様のオシッコなんて随分と失礼な話だ。女王様にではなく信仰に対して。しかし、それを言ったら本物のМ男作家に「こっちだって信仰しているんだ。信仰の強さは負けてない」と、言われて驚かされたことがあった。なるほど、そんなものか、と、思った。
 言葉を駆使し、工夫し、そして、創作してしまう。そんなところにも、官能の面白さというものがあったのではないだろうか。そう言えば、サロンにも官能文学辞典なるものがある。あれは、再び復活させるべきかもしれない。日本語の独特な絵画性を駆使して官能を高めた時代。そんな時代があったのだ。筆者は、そんな時代に戻りたいと思っているのではない。ただ、見たいのだ。そんな時代を、見るだけでいい、見たいのだ。
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