小学生のころ習っていた国語の教科書に「逃避距離」という言葉が出てきました。これは雀などの小鳥が人が近づいたときに逃げ出す距離のことです。何だかこの言葉が印象深くて何十年も経っているのに覚えています。
それと牧野富太郎という植物学者の名前を私が音読した時に私のイントネーションがおかしいらしくて皆に大笑いされました。私はその時は自分の何がおかしくて笑われているのかわからなくてとても悔しい思いをしたのを覚えています。今ではああイントネーションがおかしかったのだろうなとわかります。音痴の人も自分の歌が人に笑われても自分自身にはわからなくて悔しかったりするときはこんな気持ちなんだろうなぁと思います。私は幸い音痴ではなかったようで歌を歌っても笑われることはありませんでした。
年を取ってくると長期記憶という昔のことがありありと思い出されるようになり、短期記憶と言うついさっきのことが思い出せなくなるようです。人の晩年が追憶の中で生きるようになるというのはこういうことなのでしょう。晩年の人の逃避距離は若い時に比べて随分と長くなるのかもしれません。
ログインしてコメントを確認・投稿する