禅も仙道も変わらん。
仏家が良しとするのは、世界を知り、離れる事。
解脱だ。仏家の始めは何だろうか?
燃燈仏と言う。
仙に似て、築基精進、因滅、教え学び、身外身であろうか。
神と仙は自然にある。
仏家は、賢者の在り方。
知恵で選別し、証す。
仏陀を大仙と言う。
または金仙と言う。
今少し、道を思う。
腰に力があった。抜いた。青春も好きだった人も、良かった事もあった。
手放すというのは、道の要訣である。
精もあり、良かった頃の自我もあった。しかし、今更、要らない。
総てを捨てる時、自我でない何かがあった。
それは光明と共にあった。
ここで解脱が確立された。
昔なら、低頭礼拝して、道を尋ねるものだ。
今は本も、ネットもある。
探して見つかれば、それで良いか。
昔は、師に就くもの。また、教えを聞くものだった。
孤独を通すのは難しい。
環境が、いわゆる引き籠もりの環境であるからだ。
師がいるわけでもない。同志がいるわけでもない。
それが、書籍やネットの不利な点だ。
時間がかかる。それでだ。
出世間の場を得るのは幸せだ。
それが仏園であるなら、最良だ。
現代は、働かずに、食べられる、という利点もあるか。
それは同時に、働かなければ、ならないものでもあろう。
私は、寺に住み、家事手伝いという場を得ていた。
それも幸福な事だった。
安易に、世間に倣おうとせず、ゆっくり考えてみてはどうか。
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