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2022年05月14日19:42

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燃燈仏

禅も仙道も変わらん。
仏家が良しとするのは、世界を知り、離れる事。
解脱だ。仏家の始めは何だろうか?
燃燈仏と言う。
仙に似て、築基精進、因滅、教え学び、身外身であろうか。
神と仙は自然にある。
仏家は、賢者の在り方。
知恵で選別し、証す。
仏陀を大仙と言う。
または金仙と言う。
今少し、道を思う。
腰に力があった。抜いた。青春も好きだった人も、良かった事もあった。
手放すというのは、道の要訣である。
精もあり、良かった頃の自我もあった。しかし、今更、要らない。
総てを捨てる時、自我でない何かがあった。
それは光明と共にあった。
ここで解脱が確立された。
昔なら、低頭礼拝して、道を尋ねるものだ。
今は本も、ネットもある。
探して見つかれば、それで良いか。
昔は、師に就くもの。また、教えを聞くものだった。
孤独を通すのは難しい。
環境が、いわゆる引き籠もりの環境であるからだ。
師がいるわけでもない。同志がいるわけでもない。
それが、書籍やネットの不利な点だ。
時間がかかる。それでだ。
出世間の場を得るのは幸せだ。
それが仏園であるなら、最良だ。
現代は、働かずに、食べられる、という利点もあるか。
それは同時に、働かなければ、ならないものでもあろう。
私は、寺に住み、家事手伝いという場を得ていた。
それも幸福な事だった。
安易に、世間に倣おうとせず、ゆっくり考えてみてはどうか。
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