即身成仏というと生きたままミイラになることだと思っていましたが、違うんですね。確かにそういう修行もあるのですが、本来は「今ここで大日如来を受け入れる」という意味なのだそうです。では大日如来というのは何か?私は修行僧でも宗教学者でもないのではっきりこういうものだということはできませんが、普段からよく書いている「タオ」という私のハンドルネームがもしかしたらそれなのかもしれないと思っています。
森羅万象を遍く網羅しつつ流れている目に見えない生命情報の流れ、大河、タオ、其処に全ての生命は始まり帰結する存在、それを大日如来と密教や仏教では言うのかもしれないと思っています。
だとすると施療の度に氣を受け入れ理解しようと努めている私はもしかしたら即身成仏の片端に指の先端当たりをひっかけているようなものなのかもしれないと思ってしまいました。私の師である遠藤先生が指導者の立場から急に僧侶の世界に、修行の世界に入ってしまわれたのは氣に携わっておられたからこその必然だったのかもしれません。ある意味、今は即身成仏を願って修行されているのかもしれないなぁと思いました。
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