基本は、
身は不浄である。汗や尿便、不浄である。
貪欲を起こすのは間違いである。
感受は苦である。喜びも苦しみも共に苦の因であり、
積もって大苦となる。
心は移り変わり無常である。
全ての中に我は無く、万象に実体は無い。
そうして、眼を閉じ、鼻で呼吸し、内に向かえ。
無常無我を念ぜよ。
これ苦、これ苦の集、これ苦の滅、これ苦滅の道。
毎日、悟りを積んで、涅槃に到る。
涅槃とは、宇宙の根本と自我の根源が等しくなる事。
不生不滅であり、静かで、安らぎだ。苦は無い。
これが涅槃である。これを求めるのだ。
以上が、基本である。
瞑想さえあれば、神を信仰しようが、武術を鍛えようが、
構わないのであるが、
やはり、専門的に、一つ処で精進するのが良い。
その方が効率が良い。
しかし、硬直してしまう場合もある。
無や空を半端に悟り、瞑想を辞めてしまうような事である。
あるいは、仏果が成ったなど。
これには、苦を想う事が必要である。
死や病は刻刻と迫るのだ。
他の事もするものだが、瞑想は辞めてはならない。
悟りに関しては、狡猾とも思えるものである。
一日の反省にも、悟りはある。
四神足に、精進、念、思惟、欲とある。
このどれかで悟れるのだ。
どれくらい、数があるかは、無知の業による。
瞑想では、根元を辿るのである。
根元が、執着であったり、渇愛であったり、願欲であったり、
千変万化にも似るが、似たようなものである。
それで教える事が出来る。
ただ、熟練する必要があり、
深さ、清さ、強さが必要なのだ。
それで長い。
これは肝要である。
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