あげまん、おもしろかった。さー総裁選、河野氏と岸田氏両候補どちらの奥方があげまんになるのだろうか、それとも、高市氏か野田氏のどちらかがあげまん、日本をアゲアゲにしてくれるのだろうか。あげまん、数年前に観たときは伊丹作品の中でも純粋に男女の愛に絞ったものだなと記憶して、エンディングも釈然とした記憶であるが、今回はなんとなく釈然としない終わり方となる。今回は男女の愛に絞ったものというより女一代記という印象がある。けど、水揚げとかあっても、多くの邦画にあるような哀しみなどを感じさせず、サックスのジャージーなバラードで、全体的にもロマンあるセンス。昭和中期のような冒頭から、いつの時代?と思わせられるも、オープニング・タイトルが終わり宮本の姿、ツバメの巣のような髪型とハウスマヌケのようなコムデギャルした黒い衣装、すぐにエイティーズに連れ戻されるかのような導入。そこからはロマンなファンタジー。思えば、もちろん悲しく暗い映画もあったとは思うが、大林宣彦の非日常な世界だけではなく森田芳光にしても伊丹十三にしても、その世界はリアリスティックではぜんぜんなく、何かハレの空間に連れていかれるような、ある種の虚構性が力強く表されている観がする。バブリーな日本はアゲアゲに、お立ち台でフワフワとオタケビあげるような元気あるものを好んでいたのかな。シミュラークルな前奏にも虚構的日本にあったような感じもするけど、決してそうではなく、ファンタジーを表現していたのだろう。心の扉を開けてくれるような、そんな幻想を。ラストの津川もやっと男になった、というファンタジックなものなのだろう。寓話である。そして人はそれを求めていた。
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