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2021年07月26日10:58

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無常無我をよく考える

調子の良い状態に固執してた。
調子の良い状態で、かつてのような、明るさが出来ればいいと。
しかし、その奥には、考えたい、引き籠りたい自分がいた。
道は何か?何を避け、何に向かうべきか?
涅槃だ。苦行と快楽を避け、根源に向かうべき。
そもそも、快楽も苦行も、蜘蛛の巣に絡まるような境界だ。
内にも外にも、絡まる。様々なものを抱え、ゴロゴロ軋轢を生じながら、生きねばならない。
根源に向かうのは、静かに、内に向かう事。
身は不浄であると、汗や膿、便、血、尿、不浄である。こう観ると、捨てられるのである。
感受は苦である。喜びも苦しみも、共に苦の因である。
これは、例えば、車に様々なものを載せて走るようなものだ。
運転中、邪魔になり、気を遮ってしょうがない。運転も危ない。
悪い事をすれば、そういう自我を助手席に乗せて走るようなものだ。邪魔だし危ない。
感受が苦とは、そういう事。
心無常とは、何を持っても、心持は変わっていく。
一日でも、変わっていく。
同じものでも、見方が変わる。
例えば、緊張でも、良い見方と、きつい見方がある。
調子によって、違うのである。
無我は、総ての中に我は無く、万象に実体は無い。
これは、仏の見方、仏の悟りの見方である。
これを、明らかにすべく、見るべく。念じ、進める。
無常無我をよく考えよ。と常々言われていた。
深く考えねばならない。
これを考えるかどうかが、道を進める事なのだ。
出家した生活をしても、これをやらねば仏道者ではない。
また在家でも、これをやれば、仏道者だ。
これをやるかどうかなのだ。
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